「ITとは全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」や「システムインテグレーターからITベンチャーに転職して成功したエンジニア」など、何らか“越境”を経験したエンジニアを「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは、ビジネスSNS「Wantedly」を提供するウォンテッドリーの最高技術責任者(CTO)である川崎禎紀氏。同社とどのようにして出会い、CTOとして何をしていきたいかを3回にわたってお送りする。今回は、パソコンとの出会いから金融業界のエンジニアとして就職するまでを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


 1981年生まれで現在は36歳です。最初にコンピュータに触ったのは小学4年生くらいのとき。自宅にあった「PC-8001 mkII」です。外付けの5インチフロッピーディスクドライブを接続していました。「パソコン」ではなくまだ「マイコン」と呼ばれていた時代です。

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 父親は歯科技工士でコンピュータを使う仕事ではありませんでしたが、新しいものが好きでいろいろ買っていました。このパソコンもそのうちの一つです。

 小学生の頃はちょうどファミコンがはやっていました。スーパーファミコンが発売されたのは小学6年生のときです。家ではゲーム機を買ってもらえなかったので、パソコンでゲームをしていました。BASICのプログラムが載っている本が家に2冊あったので、そのプログラムを打ち込んで動かしていました。

 最初は意味もわからずに打ち込んでいました。小学生なので「GOTO」など英語の意味がわからず、ローマ字読みで打ち込んでいたのです。そうやって触っているうちに、プログラムの意味がだんだんわかるようになっていきました。

パソコンのゲーム作りに熱中

 その後、小学校の先生の勧めで中高一貫校に入りました。中学生になってからは電波新聞社が発行していた「マイコンBASICマガジン」という雑誌を愛読していて、「F-BASIC」などの言語処理系でプログラミングをするようになっていました。

 その学校に「パーソナルコンピュータ研究部」があり、そこでプログラミングに没頭していました。部の先輩が情報オリンピックに入賞したこともあります。この部は今でもその学校にあります。

 お金がある部ではなかったので、学校にあったパソコンは「FM16β」という、当時としても古いものでした。メモリーも少ないし、画面の解像度も低いパソコンです。