「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」など、何らか“越境”を経験したエンジニアを「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは、一般向けの投資サービスを手掛けるFinTechベンチャーの「FOLIO」でCDO(Chief Design Officer)を務める広野萌(ひろのはじめ)氏。デザイナーの立場から様々なアイディアをFOLIOにもたらし、同社のサービス開発をリードしている。今回は、パソコンに触れるようになったきっかけから前職のヤフーでの取り組みまでを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


 1992年2月に京都で生まれました。3歳のときに東京に来て、それからはずっと東京にいます。

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 父親は映像制作会社の経営をしています。その影響で、最初にパソコンを触ったきっかけは動画を作りたいということでした。パソコンでは動画制作を最初に学びました。中学校から高校にかけて、カメラやビデオカメラを触ったり動画編集をしたりして、友達と一緒にドラマや映画を作って楽しんでいました。

 映像が作れるようになると音楽や効果音にもこだわるようになります。小さい頃からバイオリンをやっていたので、作曲をしたいと思い、DTMで音楽を作るようになりました。映像と音楽を自分で作って楽しんでいたのです。

独学でソフトウエア開発を学ぶ

 大学に入ってからは、それまで自分がパソコンでできなかったことを減らしたいと思いました。未経験者でもOKのバイトがあったので、働きながらWebについて1年間学びました。これで一通りのWebサービスを作れるようになりました。PhotoshopやIllustratorでビジュアルデザインをして、HTMLやCSS、JavaScript、PHPなどを使って一つのWebサービスを開発できます。

 大学は、早稲田大学文化構想学部で、現代文学と現代思想を学んでいました。卒論はフランス象徴主義文学についてでした。大学自体はWebやコンピュータサイエンスとは無縁でしたが、デザインは広義には「どうやって人に伝えるか」ということだと思っています。大学ではいわばそれを文章でずっとやっていました。