「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」など、何らかの“越境”を経験したエンジニアを「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは吉田雄哉氏。というよりも、パブリッククラウドの伝道師「吉田パクえ」氏と言ったほうがピンとくる人は多いかもしれない。日本マイクロソフトに転職し、現在は「Microsoft Azure」の導入支援を手掛けている。今回は、オープンソースやクラウドとの出会いから日本マイクロソフトに入社するまでを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


前回から続く)

 ユーザー企業に転職した2003年頃は、OSとしてLinuxを使い始めていました。WindowsもLinuxもできるということで、情報システム部門の中でも重宝がられたと思います。

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 最初の4カ月間くらいは、汎用機の棚卸しをやりました。汎用機で作ったシステムをオープン系のRed Hat Linuxに刷新するというプロジェクトです。私はCOBOLが読めないし、仕様は担当者の頭の中にしか残っていなかったので、汎用機のシステムの開発者に3~4カ月にわたってインタビューしました。

 こうした人達は「システムがオープン系になると仕事がなくなる」と思ったのでしょう。最初はとても抵抗されました。自分は20歳代で相手は40~50歳代です。「お前にシステムの何がわかるんだ」という状況からのスタートでした。ひたすら話を聞いて、少しずつ仲良くなっていきました。

 その人達が苦手でやりたくないことをひたすらカバーしました。生産技術のシステム、在庫管理、受発注、EDI(Electronic Data Interchange、電子データ交換)など製造業で必要なシステムには一通り触れました。やらなかったのは経理システムくらいです。