「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」など、何らかの“越境”を経験したエンジニアを「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは吉田雄哉氏。というよりも、パブリッククラウドの伝道師「吉田パクえ」氏と言ったほうがピンとくる人は多いかもしれない。日本マイクロソフトに転職し、現在は「Microsoft Azure」の導入支援を手掛けている。今回は、同氏がIT分野に進むことになった原体験などを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


 初めてコンピュータに接したのは小学生の頃です。友達の家に「MSX」というパソコンがあり、そのゲームをやらせてもらったのがきっかけでした。「パソコンというものがあるとゲームができるらしい」と知ったのです。

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 ただ、「ゲームがやりたい」と言うと買ってもらえないので、親には「パソコンが欲しい」という言い方をしました。小学4年生のころです。それから2年くらいして、小学6年生のときに父親が買ってくれたのが「PC-9801VX」というパソコンでした。

 当時は価値がわかっていませんでしたが、結構いい値段がするパソコンです。何か期待してくれていたのかもしれません。ゲームがやりたいのにバリバリの仕事向けのパソコンを買ってくれたのです。父親が仕事で使うのと共用ではありましたが。

 当時は今とは違ってネットはありませんでした。雑誌や付属マニュアルにBASICのプログラムが載っており、それを打ち込んで動かしてみたのが最初のプログラミング体験です。プログラムが動くと「すごい」と思ったのですが、最初は「保存」という考え方がない。電源をブチッと切ると、あったものがなくなっています。本を読んで保存という概念を知りました。

 星空というプログラムがあったので打ち込んで動かしてみました。黒い画面にいろんな色のドットがランダムで出てくるプログラムです。家族に見せると「きれいだね」と喜んでくれました。親の立場からすると「がんばって買ったものを使ってくれてうれしい」というのもあったかもしれません。「ソフトウエアを作ると人を喜ばせられる」ということが強く印象に残りました。