「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」や「ITとIT以外の分野の境界を行き来しながら成果を上げているエンジニア」を「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは佐藤治夫氏。Pythonに特化したシステム開発会社であるビープラウドの創業者だ。最終回である今回は、ビープラウドとコミュニティとの関係や同社に営業社員がいない理由などを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


前回から続く)

 ビープラウドはコミュニティとの関係が深いのも特徴です。Pythonのイベントである「PyCon」に何人かスタッフとして入っています。「PyCon JP 2016」では40~50人の発表者のうちビープラウドの社員が8人もいました。

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 会社としてもイベントでの発表を奨励しています。イベントで発表すると「会社の宣伝をしてくれた」という意味で参加費などを出しています。コミュニティにスポンサーとしてお金を出すこともあります。私自身も積極的に勉強会に参加したり、コミュニティに顔を出したりしています。

 加えて、自社のイベントとして「BPStudy」という勉強会を2007年9月から毎月1回開催しています。今年8月で120回なので丸10年になります。

 ビープラウドを設立してから最初の1年は、自宅が会社でした。2007年8月に最初のオフィスを借りたときに、そこに会議室があり、そこで何かやろうという話になった。それがBPStudyを始めたきっかけです。

 エンジニアの飲み会に参加すると楽しい。他のエンジニアの「こうやっている」「大変だった」といった話を聞くのは勉強になります。しかし、みんな忙しくてそうした飲み会は1年に1回か2回しかできなかった。それではもったいない。エンジニアが集まれる場があったらおもしろいんじゃないかと思ってBPStudyを始めました。

「受託開発」でもやりがいは同じ

 最初のオフィスは狭くて3人しか座れなかったのですが、自分を含め基本的にはみんな顧客のところに常駐していたので、あまり関係ありませんでした。ところが、2008年10月にリーマンショックが起こって常駐の仕事がほとんどなくなってしまった。そこで「持ち帰りでやらせてもらえませんか」と交渉して、自社でやれる仕事を増やしていきました。

 ただ私自身は2011年3月までJavaの案件でフル常駐していました。しかし「フルにエンジニアをやって会社を回すのはもう無理」と感じ、その時点でプログラマは引退しました。

 自社での受託開発は今後も続けていきます。顧客のもやもやとしたアイディアを自分たちの技術、知識、チームで形にすることで価値が生まれる。仕事としてやりがいがあります。