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越境エンジニア列伝

SIerで落ちこぼれた私が「エンジニアのための会社」を立ち上げるに至ったワケ

ビープラウド 代表取締役社長 佐藤治夫氏

大森 敏行=日経NETWORK 2017/04/11 日経NETWORK

 「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」や「ITとIT以外の分野の境界を行き来しながら成果を上げているエンジニア」を「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは佐藤治夫氏。Pythonに特化したシステム開発会社であるビープラウドの創業者だ。今回は、SIerに就職してITに関わるようになってからビープラウドの設立に至るまでを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


 もともと文系出身で、大学では会計や経済を学んでいました。ITに本格的に携わるようになったのは社会人になってから。進路にIT分野を選んだ理由は「文系と理系の両方の知識を身に付ければ、掛け算になって自分の特徴になる」と思ったからです。

[画像のクリックで拡大表示]

 加えてIT業界は新しい業界なので、古くからある業界よりもチャンスがある気がしました。Windows 95やインターネットが出てきた頃で、世の中にもITに期待する雰囲気がありました。

基本情報処理試験に落ちてしまう

 そこで1997年に住商情報システム(現SCSK)に就職しました。バブルが崩壊し、就職氷河期で企業が採用を絞っていた時期です。

 社会人になってからたくさん勉強しました。4年間一生懸命やれば、大学でIT系の勉強を4年間していた人に追いつくだろうと思っていました。オブジェクト指向に興味を持ち、Javaの勉強をしていました。

 特に大変だったのが20代です。会社を作るまでの話を「私の履歴書(ヤング時代)」というタイトルで2012年に勉強会で発表したことがあります(発表スライド)。

 入社直後の1997年4月に受けた基本情報処理試験では、同期の70人のうち60人が合格したにもかかわらず、自分は不合格でした。3カ月の集合研修の間も力は伸びず、おそらくそこで「劣等生」のレッテルを貼られてしまいました。

 7月にケータイシステムの運用支援をする現場に配属されました。その業務には1年半従事しました。OpenVMS上のジョブ管理、Accessでの集計ツール開発、運用資料作成など。運用支援なので、開発のスキルは身に付きませんでした。

 「開発をやりたい」と会社に訴え続けた結果、希望が通り、次に下北沢の開発現場に配属されました。COBOLで十数年前に作られた経理システムに関わる開発です。JavaでWeb開発がやりたかったので、異動希望は出し続けました。しかし、企業では年齢が上がるほど実績が問われるようになります。実績がないから異動できず、実績が残らないという負のループに陥ってしまいました。

 結局、この会社ではやりたい仕事ができませんでした。26歳になり「このままではみじめな30代になる」と思い転職を決意しました。

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