「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」や「ITとIT以外の分野の境界を行き来しながら成果を上げているエンジニア」を「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは都元ダイスケ氏。同氏は9年前、薬剤師からITエンジニアという全く違う分野に転職した。今回は、本格的にプログラミングを始めてから今の会社にたどり着くまでの軌跡を追う。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


3月7日公開分から続く)

 薬剤師だけではなく、もう一つ、手に職を付けたい。そうした思いで、それまでネットゲームに費やしていた時間をエンジニアリングの勉強に振り向けることにしました。

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 まず、2005年後半頃からPHPとMySQLを触り始めました。ただ、当時は「オブジェクト指向といえばJava」という雰囲気がありました。そこで2006年後半頃からJavaにシフトしていきました。Javaだとサーバーサイドアプリもデスクトップアプリも開発できます。また当時はケータイでJavaアプリが動く時代でもありました。つぶしが利くという意味もあり、Javaを選びました。

 当時、メジャーなJavaのフレームワークは、Spring、Struts、Hibernateの頭文字を取って「SSH」と言われていました。しかし英語の情報が多く、よくわからない部分があった。そんなときに出会ったのが「Seasar2」というフレームワークです。作っているのが日本人で、日本語のドキュメントがたくさんありました。

 2007年頃からはSeasarコミュニティにも参加するようになりました。Seasarのイベントである「Seasarカンファレンス」は、最初は参加者だったのですが、いつの間にか発表もするようになっていました。また、有志のJavaプログラマの集まりである「java-ja」というコミュニティにも出入りするようになりました。

 趣味でソフトウエアを開発するに当たっては、Java周辺の道具集めをしました。その中で統合開発環境の「Eclipse」に魅せられ、そのプラグインを書こうと思い立ちました。いろいろ調べていると、データベースのER図の設計をするプラグインは、自分は欲しいのに世間にはなかった。そこで「Jiemamy」というプラグインをオープンソースで作り始め、2007年半ばに公開しました。

 もっとも、このプラグインは今は配布やメンテナンスはしていません。エンジニアリングがわかっていなかった頃に作り始めたので、設計のバランスが取れていませんでした。コミュニティベースで開発するには重厚長大になってしまい、コントロールできなくなりました。設計をシンプルにするバランス感覚もなかった。

 それでも、このソフトの開発で実践的な悩みにぶつかったのはいい経験になりました。仕事として開発して大けがするのではなくてよかったのかもしれません。

コミュニティのつながりで転職

 そうしているうちに、エンジニアとして仕事がしたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。そこでコミュニティで知り合った仲がいい何人かの人に「エンジニアをやりたいんだよね」という相談をしました。その結果、「来てみれば」と言ってくれる人がいて、思い切って転職を決めました。2008年2月1日には、「プログラマに転向する」という内容のブログエントリを書いています。