ICTを平和目的に積極的に活用しようという動き「PeaceTech」。その推進者の1人である金野索一氏が、PeaceTechのキーパーソンに会い、その取り組みや思いを語ってもらう。(菊池 隆裕=日経BPイノベーションICT研究所)

 今回紹介する、PeaceTechを実践する日本人経営者の秋田智司氏は、タンザニアで小口の充電事業、ランタンやラジオのレンタル事業を推進している。これら事業の原点は、20歳のときに参加したタンザニアでの植林ボランティアだった。

20歳のころ、タンザニアに渡った秋田智司氏
20歳のころ、タンザニアに渡った秋田智司氏
(写真:Digital Grid)
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 ボランティア参加のきっかけは、高校2年生の春休みにたまたまテレビで観たコソボ紛争のニュース。自分が寝転がっているときに、生きるか死ぬかという体験をしている人たちがいることを知り、いつか彼らを救えるような仕事ができたらいいなと思ったという。

 その後の2002年、途上国支援や紛争予防に興味を抱き、大学では開発経済学を専攻したのだが、少し頭でっかちになってしまった。「2年間、現地を見ずに机上で勉強ばかりしていました。だから最初にタンザニアに行ったときは、勉強した自分が皆に教えてあげようという、不遜な気持ちだったのです。現場では当然、そんな人間が先頭に立つなどとてもできませんでした」(秋田氏、以下同)

 現地の人たちのほうが、はるかに効率よく作業ができるし、植林に関しても専門家だった。彼の鼻はすぐにへし折られた。

 「しかも私は熱を出して寝込んでしまって、介抱される始末でした。それで、見る方向が180度転換したのですね。日本人として彼らを助けるというスタンスではなくて、フラットに付き合い、一緒になって何か地元に貢献できるビジネスを立ち上げたら楽しいなと思いました」

BOPという言葉がないころから、BOPビジネスを模索

 その後秋田氏は就活の時期を迎え、いろいろと悩んだ末に経営学を学ぶために大学院に進学した。まだ、BOP(Base of the Economic Pyramid=年収3000米ドル以下の低所得者層)という言葉もなかった。「メセナやCSR(企業の社会的責任)とは違い、ちゃんとお金を稼ぎながら現地の社会問題も解決するんです」と彼は訴えたが、誰も理解してくれなかったそうだ。

 その後、コンサルティング企業への就職と起業、そしてを経て、途上国に進出したい日本企業を支援する事業を立ち上げた。その活動の中で運命的な出来事があった。デジタルグリッドを発明した東京大学の阿部力也教授との出会いだった。阿部教授が代表理事を務める一般社団法人デジタルグリッドコンソーシアムをコンサルタントとして1年間支援した後、途上国への電力量り売り事業構想を提案。2013年6月に阿部教授ともに、デジタルグリッドソリューションズ(現Digital Grid)を設立。現在は、タンザニアを拠点に、日本と行ったり来たりの生活をしている。

デジタルグリッドを発明した東京大学の阿部力也教授(中央)
デジタルグリッドを発明した東京大学の阿部力也教授(中央)
(写真:Digital Grid)
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