「この新規ビジネス企画は、既存の事業の延長線にしか見えない」。上司にそんな不満を言われないよう、ゼロベースで企画する思考術を身に付けたい。顧客への価値を4つの視点で考えれば、常識にとらわれない着想が浮かんでくる。

 「西部課長、個人向け融資の新しいビジネスを考えているんですが、書類受付や審査といった業務をアウトソースできる業者をご存じないですか?信頼できる業者でないとダメですよ。課長なら人脈が広いから知っていますよね?」

 地方銀行A銀行システム企画室の岸井雄介は、自席のパソコンでインターネットの記事を読んでいる経営企画課長の西部和彦に聞いた。

 「融資業務ならうちの事務センターを使えばいいじゃないか。それじゃダメなのか?」

 「数が多いんですよ。顧客を地域から全国に広げる例のプロジェクトに伴う新融資業務です。これまで我々が融資してこなかった所得層に向けた融資なので、業務量が膨大になるんです」

 「ちょっと待てよ。君は新しい融資事業を既存事業の延長線で考えているようだけど、それでは弱いな。スマートフォン、人工知能、ブロックチェーンなどが当たり前になる時代にそれではつまらない。ゼロベース思考で、今までの常識は一旦捨てて考えた方が面白いと思うよ」

 「ゼロベースですか…別の方にも言われました。この企画を個人融資企画課の馬場課長に説明したら『既存の延長線でしか考えていない』って不機嫌そうに言われたんです」

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 岸井雄介は35歳、西日本の地方銀行A銀行に入社以来システム開発に従事し、現在はシステム企画室の課長補佐である。最近A 銀行が買収したFinTech子会社F社の企画部と兼務になり、さらにグループ横断的検討プロジェクトのメンバーになった。

 西部和彦は37歳、A銀行でシステム企画の仕事を長く担当し、多くの仕事を成功させてきたエース人材で、岸井の大学の先輩でもある。出向していたITコンサルティング会社から復帰し、多くの仕事を成功させた貢献が認められ、経営企画課長に昇進した。

 岸井は現在、「個人向け少額無担保融資企画」を検討している。この融資は住宅購入などの目的に限定せず、広く生活に関する急な出費や給与支給までのつなぎで使える「生活維持資金」の性格が高いものである。

 A行はこれまで、生活維持の性格を持つ融資への参入を控えてきた。貸付リスクが高いことに加え、審査にノウハウと時間がかかる割には高い利息を付けることが難しいためだ。

 関西の地方銀行であるA行は、今のままでは商圏の人口減により今後の業績拡大が難しくなっている。そこでA行は商圏の顧客を維持しつつ、地域に依らない全国での顧客獲得に舵を切る「顧客全国化」戦略をとっている。

 だが全国に店舗網を広げ、融資やコンサルティングの担当者を配置することは難しい。そこで店舗を使わず、ネットやコールセンター、業務アウトソーシングを使ったビジネスを企画する方針とした。

 顧客を全国で獲得すれば、生活維持資金を必要とする顧客層が拡大し、業績に貢献する。A行の経営層が「個人向け少額無担保融資企画」の検討を始めたのには、こうした理由があった。

 この検討の担当に指名されたのが、個人融資企画課の馬場課長とシステム企画室の岸井である。岸井はこの分野の融資を手掛ける事業者を調査したり、融資業界専門誌などを読んだりして検討の方向性を考え、馬場課長に説明した。

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 「岸井補佐、新型個人融資ビジネスの企画は進んでいる?どういう企画になるのか教えて欲しい。申し込み、審査、口座振込、回収などの業務は、それぞれどう考えている?」

 「馬場課長、今回の新規個人融資は小口融資で額も少ないので貸付リスクはさほど大きくはありません。しかし、利率を他社より下げて数を拾いにいく薄利多売モデルなので、膨大な業務をどうさばくかがポイントだと思います。融資対象の顧客は全国に広がりますが、申し込みを受け付ける支店が存在しません。既存の支店に書類を郵送もしくは、電子的に送付して業務を行う方法もありますが、既存支店の融資業務担当は支店商圏の業務だけで手一杯で、全国で発生する大量の小口個人融資に対応することは不可能です。別の手段を考える必要があります」

 「ふむ。どんな手段がある?」

 「競合相手の業務内容も調査したところ、他社は融資業務のアウトソーシングで対応していることが分かりました。業務委託なら、業務の繁閑調整も比較的融通が利くようです。そこで当行でも、全国に2か所の融資事務センターを用意し、融資業務を委託する方向で考えたいと思います。既存の住宅ローンや自動車ローンなどの業務と情報システムをベースに変更すればよいので、さほど難しくはないとみています」

 「ちょっと待ってよ。今のICT時代に紙で郵送して事務要員がシステムに手入力するの?あと審査はどうする?審査には年収や勤務先、持ち家か賃貸、預金、家族構成、保険加入内容など大量の顧客属性が必要だけど、顧客は全部書いてくれるのか?」

 「経験的に言えば、書いてくれない内容も多いでしょう。その場合には、アウトバウンドコールセンターからオペレータが融資申込者に電話して確認します。証拠書類が必要な場合は、追加で郵送してもらうか、画像で電子的に送付してもらいます」

 「それでは顧客は途中で嫌になってしまうと思うよ。もっと簡単に、短い時間で、顧客にメリットのある流れでないとダメだ。今回は生活資金の融資なんだから、申し込んだらすぐに審査が通って、口座にお金が振り込まれないと顧客は使ってくれないよ」

 「それは難しいと思います。小口とはいえ、無担保融資ですから。しっかりした手続きと審査をしないと、回収できない場合に問題になります。当行は銀行です。住宅ローンや自動車ローンと整合性をとる必要があると思います」

 「それは違うと思うぞ。ビジネスは絶えず変化させることが必要だ。その過程では技術の革新も反映して新しいビジネスを創造する必要がある。新しいビジネスには、新しい手段が必要だ。そういう視点で考えて欲しい」

 「馬場課長の言うことも分かりますが、せっかく既存の融資業務やシステムがあるのですから、これを生かさない手はありません。まず、やりやすい、できることからスタートし、試行錯誤しながら前に進むべきと思います。課長も、そう思いませんか?」

 「まったく思わない。新しい、成長できるビジネスを企画するなら、既存の延長線で考えていてはダメだ。これまでの事業を適当に見直した程度の新規ビジネスがうまくいくほど世の中は甘くない。ゼロベースで考えるべきだ。それをよく考えた上で改めて説明に来てくれ」

 岸井は馬場課長の言うことがよく理解できなかった。そこで、既存の延長線とゼロベースの違いを西部課長に教えてもらおうとした。それが冒頭の件である。