「はぁ、困ったなぁ…」

 西日本の地方銀行A行の情報システム部員、岸井雄介は、ため息と共に社員食堂のテーブルに着いた。

 「どうしたんだい、さえない顔をして」

 「あっ、西部さん。聞いてくださいよ」

 「何があった?」

 「課長ですよ。課長が、私の仕事が遅いって怒ってるんです」

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 岸井雄介は35歳、西日本の地方銀行A行の情報システム部の課長補佐である。入社以来A行のシステム部でシステム開発を担当し、システムの設計、プログラム製作、テスト、移行などに携わってきた。最近システム企画の担当部署に異動した。

 もともと仕事はできる男なので、システム企画でも活躍するだろうと前評判は高かったが、システム企画の仕事ではなかなか成果が出なかった。岸井が苦しんでいた仕事は、金融機関のサービスをIT技術で高度化する、いわゆるFinTechの仕事だ。A行の経営陣は最近日本でもFinTechがクローズアップされていることを知り、これを経営にどう生かせばよいかを検討する必要があると考えていた。

 発端はA行の頭取だ。頭取が地方銀行の集まりに参加した際、他の地銀の何行かが真剣に研究していることを知り、経営会議で「当行も検討、導入が必要ではないか」と発言したことが岸井の新しい仕事の始まりだった。

 岸井はFinTechの情報を収集するため、書籍や雑誌、情報サイト、セミナーに参加して調査した。しかしFinTechに関する情報は膨大で整理して報告書にまとめるまでかなり時間がかかり、その間上司に報告ができなかった。

 いつまでたっても岸井が説明に来ないため、ある日、石本課長は岸井を呼んで説明を求めた。

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 「岸井君、FinTechの導入企画はどうなっている?うちの銀行での導入の対象業務と進め方の案はいつできるんだ?どんな段取りにするのか決めないと何も進まないだろう」

 「課長、FinTechの関連項目は膨大で調査に時間がかかっています。多くの事例を調査しなければなりませんし、自分の知識として理解する時間もかかります。それが完了するまでお待ちください」

 「膨大なのは分かるが、いつまでかかる?来年度のシステム関係予算申請締め切りは4カ月後だぞ。もう時間の余裕ないだろう。予算申請から外れれば、何もすることができないぞ」

 「そう言われましても、FinTechは新しいことなので、全てを理解するための調査に時間がかかるんです。理解していただかないと、後で問題が出てきても困りますし」

 「時間のかからない方法を考えればいい。1カ月で調査できる方法を考えてくれ」

 「分かりました。では、FinTech調査にどれくらいかかるかを見積もるために1カ月ください」

 「それじゃダメだよ。全部調査していたら何年かかるか分からないだろ。時間の無駄じゃないか。他の方法を考えないと」

 「他の方法は私には思いつけませんので、やはり地道に調査することから始めないと。その結果を見てから考えたいと思います」

 「あのなあ、君の仕事は遅い。そういうところがダメなんだ。我々は決められた時間で成果を出す必要がある。組織で働く、組織で新しい企画をするとは、どういうことが分かってない。仕事が遅いんだよ。なぜ、仕事を早くしようとしないのか?もういい。席に戻っていいよ」

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