AIブーム花盛りである。「人間の仕事の半分以上はAIに置き換えられる」「AIの知性が人間を凌駕する『シンギュラリティ』が2045年にやってくる」などとかまびすしい。実際、まだ困難だと考えられていた、囲碁で名人に勝つコンピュータが2016年に実現されてしまった。あたかも、もう目の前には人間の知能を凌駕するAIが出てきそうな勢いだ。「AI技術を応用した~」というニュースも多数目にする。新聞の紙面を飾らない日はないと言っていいだろう。

 だがこの業界に長く身を置いていた方ならわかるだろう。この光景、この雰囲気は以前リアルタイムで体験したことだと。筆者と同じ50代のエンジニアであれば、大学を卒業して就職したばかりとか、就職する前に業界を勉強していたときにあった光景だ。

「3度目の正直」か、「2度あることは3度ある」か

 今さら言うまでもないと思うが、AIブームはこれが3度目である。「3度目の正直」でAIが本当に離陸するのか、それとも「2度あることは3度ある」というように、またAIは幻滅期を超えて水面下に沈んでしまうのか。

 最初のAIブームは1950~1960年代。盤面の手を探索する手法として、MiniMax法やαβ法といったアルゴリズムが考案され、チェスやリバーシのような完全情報型のゲームをコンピュータが“考える”ことができるようになった。しかし応用範囲が狭いことからブームは終息した。もちろんブームが終息しても技術開発は続いており、例えばパソコンで動くリバーシはこの応用だ。終盤になると、完全に先読みして勝ちきってしまう。1997年にチェスの世界王者カスパロフに勝った「DeepBlue」なども、この技術の延長線上にある。

 もう一つこの頃に生まれた重要な技術がある。パーセプトロンだ。脳の構造を模した構造で、現在で言えば入力層と出力層の2階層から成るニューラルネットワークだ。1957年にフランク・ローゼンブラットという研究者が考案した。学習により動作を変えることが確認され、一時期研究が進んだ。単純な2階層だと、線形分離が可能な問題にしか対応できないことが示されて急速に関心を失った。しかしこれが現在のディープラーニングにつながるニューラルネットワークの礎となる。

 そして第2次AIブームが1980年代だ。これは現役世代でもリアルタイムで体験した人がいるはずだ。日経BPが「日経AI」というニューズレターを創刊したのが1986年のこと。1992年4月に「日経インテリジェントシステム」と名前を変え、休刊したのが1994年10月である。1992年からこの媒体に携わった筆者は、第2次AIブームの終焉を目の当たりにしてきた。どう見てもAIとは関係がなさそうなのに、「AI技術を使っている」と主張するユーザーもいた。AIブームをもり立てる立場でもあり、そうした事例を“AI”として紹介したこともあった。