現在、世界中の多くの人が利用しているiPhoneは、今年で登場してから10年が経った。

 2007年1月にAppleが新製品としてiPhoneを発表し、6月に米国で販売を開始した。日本でも話題にはなった。だが、初代の端末は、当時の日本では利用できない通信方式(GSM)だったことから、一部の新しいモノ好きやマニアだけが所有するものだった。

 iPhoneが日本の携帯電話市場を大きく変えたのは、翌2008年にiPhone 3Gが登場し、ソフトバンク(当時はソフトバンクモバイル)が国内販売を開始してからだ(表1)。iPhoneは様々な方面に大きな影響を与えたが、本稿ではiPhoneの登場によって日本の携帯電話市場がどのように変わっていったのか、国内メーカーの観点から見ていきたい。前編の今回は、iPhone登場前夜からスマートフォン時代到来までを振り返る。後編となる次回は、衰退する国内メーカーと、その行く末を論じる。

表1●日本におけるiPhoneの販売の経緯
表1●日本におけるiPhoneの販売の経緯
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iPhone登場前の国内携帯電話市場

 iPhoneが登場するまで日本の携帯電話市場は、従来型の携帯電話、フィーチャーフォンが主流だった。これは現在、「ガラケー」とも呼ばれている。スマホが登場してから、スマホとの対比で従来の携帯電話がガラケーと称されるようになったので、ガラケーという単語もガラケーしかなかった時代には存在しなかった。

 iPhoneが登場するまで日本では海外メーカーの携帯電話が主流になることはなかった。当時海外ではノキア、サムスン電子、モトローラ、シーメンスなどの携帯電話の人気が高かった。このうちノキアやモトローラなどは日本市場にも進出し、ボーダフォン(現在のソフトバンク)やNTTドコモから端末を販売していたが、日本人が好むような携帯電話を作ることはできず、人気はなかった。

世界に先駆けたモバイルサービスを実現

 日本の携帯電話市場は当時、iモードに代表される、メールやネット接続ができるサービスが世界に先駆けて花開いていた。現在、世界規模でスマホが普及し、誰もがスマホからネットに接続している。だが、当時の海外で携帯電話からネットに接続できるのは一部の限られた端末だけだったのだ。

 日本ではスマホが登場する何年も前から携帯電話で多くのサイトにアクセスしたりメールしたりできた。さらには写真を撮ってメールで送る「写メール」(写メ)、自分の気持ちを表現する「絵文字」、ゲームなどの「アプリ」、携帯電話で決済ができる「おサイフケータイ」などはiPhone登場前の時代から既に存在していたのだ。

 携帯電話で様々なサービスやコンテンツが展開され、日本人にとって携帯電話は日常生活の一部であり、現在のスマホと同様に常に手放すことができないものだった。そして携帯電話向けのコンテンツやサービスを展開する多くのベンチャー企業も登場した。

 ガラケーは「ガラパゴスケータイ」の略称だが、世界中で日本だけが突出した携帯電話市場だった。その日本の携帯電話市場を支えていたのが日本の携帯電話メーカーだった。携帯電話という小さなハードウエアで世界に先駆けて様々なコンテンツやサービスを展開するのを可能にしたのが、日本の携帯電話メーカーの技術力だった。海外のメーカーには、日本市場で受け入れられるサービスを実現する機能を有した携帯電話を開発するのは、技術的にもリソース的にも困難だった。

デザインから使い勝手まで、個性輝く携帯電話たち

 当時の携帯電話メーカーは、NEC、パナソニック、シャープ、富士通に代表される日本のメーカーが主流だった。日本の携帯電話メーカーはドコモ、KDDI、ソフトバンク(当時はボーダフォン)など各携帯電話事業者からの仕様に基づいて、携帯電話を開発、製造していた。デザインもメーカーと携帯電話事業者が協議しながら決めていた。

 当時の携帯電話は、現在のスマホのようにどこのメーカーでも同じようなデザインではなく、それぞれの端末に個性があった。そして時代によってストレート型、フリップ型、折り畳み型、スライド型、回転型など多様な端末のデザインが登場した。

 特に日本では2000年代前半から折り畳み型の人気が高く、多くの携帯電話メーカーが折り畳み型の製品を販売していた。当時海外にはほとんど折り畳み型デザインの携帯電話はなく、多くがストレート型のシンプルな端末だった。

 現在のスマホは、どのメーカーのスマホであっても使い勝手に大きな差はないが、かつての携帯電話にはメーカーによって使い勝手やユーザーエクスペリエンスにも特徴があり、ユーザーの好みがはっきりしていた。