10年近く昔の話しではあるし若気の至り(既に若くはなかったが)ということにして、お叱りを覚悟で今ここに白状する。米国出張の友人に現地で購入してもらった初代iPhoneにまつわる話である。
ゴニョゴニョと裏アクティベーションを実施した後、ホーム画面が表示されたその瞬間は今でも脳裏に焼き付いている。画面の中に浮かんだアプリアイコン達の美しい輝きは、漆黒の宇宙空間に散りばめた銀河の輝きにも見え、未来を手に入れたかのようなワクワク感で体中が満たされていることに気づいたものだ。
褒められた行為ではないことは百も承知だが、1980年代後半からのアップルユーザーでガジェットマニアな筆者としては、スティーブ・ジョブズ氏が啓示した「今そこにある未来」を前に、端末の起動を我慢できるはずもない。ただ、そのときは、手のひらの中にある新型の携帯電話端末が、世界を変えるパワーを秘めているとは、微塵も思わなかった。
世界が変わる予感
筆者が「世界を変えるかも」と思ったのは、その翌年、iPhone 3G登場とともに始まったApp Storeに並んだアプリを目にしたときだ。個人開発者のアプリが大手を振って並び、有名企業のアプリの存在感は当時まだ小さかったように思う。当時の大手アプリで今記憶にあるのは、セガのゲームアプリくらいであろうか。個人でも世界を相手にビッグビジネスができるかも、と希望と期待が脳内を支配した瞬間だ。
実はその予感は、App Storeの登場以前、冒頭で紹介した初代iPhoneを使い始めたときから徐々に感じ始めていた。Appleは当初、アプリの開発をサードパーティへ開放していなかった。しかし、世界のハッカー達は、ハッキングしたiPhoneでオリジナルのアプリを開発し「Jailbreak(脱獄」という方法でインストールする術を準備していた。ご多分に漏れず、筆者も脱獄した初代iPhoneに「iAno」というピアノのアプリや「PocketGuitar」というギター演奏が可能なアプリをインストールして楽しんでいた。
そんな筆者だけに「Appleは、いずれアプリの開発をサードパーティに許すのではないか」と漠然と予想していた。そして2008年6月、Appleは筆者の予想よりはるかに早くiPhone SDK(Xcode 3.1)の提供を開始、サードパーティの開発者にアプリの門戸を開いた。ただ、そのときは、アプリを開発して提供するのは一定規模のソフトウエアベンダーであり、インディ(個人や零細組織)開発者が活躍するという考えには至らなかった。
いざApp Storeが始まってみるとインディ開発者のものと思われるアプリがランキングの上位にたくさん存在する。そして、App Storeの開始から約2カ月後、筆者にとって「世界に羽ばたくインディ開発者」という考えを決定づけるアプリが登場した。笠谷真也氏が開発した「PocketGuitar」である。脱獄時代の人気アプリが、正式版として晴れてApp Storeにデビューしたのだ。iPhoneのマルチタッチ機能を最大限生かしたこのアプリは、瞬く間にブレイクし2〜3カ月で50万ダウンロードを達成したと記憶している。笠谷氏は、インディ開発者の星として世界中の同胞から羨望の眼差しを送られる存在になった。