サウジアラビアで、ある裕福な家庭と話していた時にこう聞かれた。「コトラー先生、あなたは様々な活動をしているが、平和をマーケティングできないのか?」と。これがきっかけで私は平和についてのマーケティングを考えるようになった。

 マーケティングは特別なものではない。皆さんが日常的にしていることと何ら変わりがない。モノを売ったり、アパートを探す際に比較したりするのと同じだ。禁煙を推奨したり、子供を産み過ぎないように家族計画を立てたり、薬物の使用を止めたり。マーケティングは全ての商品や行動に深く関わっているものだ。マーケティングの力をもって世の中を平和にしていくことができる。

 だが、平和を考えた時、労働者が富をいかに共有できているかが重要になる。残念なことに富の大部分は裕福な人々に行き渡っているというのが現状で、一般人の購買力は低いままだ。ほとんどのお金は一般人には行き渡らず、モノが買えず、そして結果的に工場が苦しむ。

 だが、私は裕福な人が悪いと指摘しているのではない。悪いのはシステムだ。裕福な人がもっと税金を支払うシステムにする必要がある。

 金融業界が価値を生み出しているのは否定しない。金融業界はお金を貸したり投資したりしているが、問題は、それらの大部分が必要の無い使われ方をしていることだ。金融業界で働いている人々は国の5%に過ぎないが、国のGDPの20%を作りだしている。「過剰な資本主義」と言っても過言ではない。リーマン・ショックなどのひどい不況があり、結果的には銀行をはじめとする金融機関はうまくコントロールできるようになった。それまでお金のない人たちに対し、粗悪な商品を売っていた行為が無くなったと言える。

 いま、ビットコインをはじめとする仮想通貨が世の中に出てきている。こうした新しい通貨については個々のリスクを内包している。だが問題は、往々にしてこの手の通貨は、マフィアをはじめとする裏社会で取引されていることが多いということだ。いま、仮想通貨について大きく取りやめる動きはないが、止める理由は存在し得ると考える。

 それは私自身が100ドル紙幣を廃止すべきだと考えているのと同じだ。ドラッグの取引で5ドル紙幣で支払われることはない。常に高額紙幣でやり取りされる。否定的に見ているのはこういう理由からだ。

※ このコラムは、識者の談話を基に構成した記事です。