「社会包摂(ソーシャル・インクルージョン)」という言葉から派生した「金融包摂(フィナンシャル・インクルージョン)」というキーワードがある。世界銀行による定義では「すべての人々が、経済活動のチャンスを捉えるため、また経済的に不安定な状況を軽減するために必要とされる金融サービスにアクセスでき、またそれを利用できる状況」のことを指すとされている。テクノロジーで金融領域をアップデートする、すなわち「FinTech」と呼ばれるジャンルもこの中に含まれるだろう。

 金融領域と一言で言ってもジャンルは様々。決済・仮想通貨・ブロックチェーン・クラウドファンディング・送金など、あらゆるジャンルで、FinTechベンチャーが金融サービスをより身近に民主化すべく努力している。かく言う私自身も、決済サービスを行う「PAY.JP」を運営するBASEの立ち上げや、クラウドファンディング「CAMPFIRE」の経営に携わっている。なぜ、インターネットを使ってこういった領域に私が関わろうとするのか。それには私の過去が関係している。

 私が育った環境は、一言で言うと貧困家庭だった。いじめをきっかけとして引きこもりになった私は、大検(高校卒業と同等の資格)を取った後、新聞奨学生の制度で新聞社から学費を出してもらい、住み込みで朝夕の新聞配達をしながら芸大予備校に通っていた。画家を夢見て毎日絵を描いていたが、ある時、自営業を営む父親の破産にともない、長男である私は家族を支えるため、夢を諦めて働かざるを得なくなってしまった。「未来は自分次第、どんな自分にもなれる」と思い込んでいた当時の私にとって、あったはずの無数の選択肢が失われてしまった状況に絶望したことを覚えている。

 私にとってインターネットは唯一の居場所だった。インターネットで友人を作り、インターネットで起業し、インターネットを通じて様々な発言や活動をしてきた。メーンシステムからこぼれ落ちてしまった人見知りの私は、インターネットによって救われたと言っても過言ではない。私は、インターネットとはあらゆることを民主化するツールだと考えている。民主化とは「遠くにいってしまったものを、個人の手の元に取り戻す」こと。インターネットを含め、テクノロジーとは、元来そういうものであるべきだと思う。

 いま国内では6人に1人の子供が貧困状態にあると言われている。生まれながらの環境によって、学ぶ機会や夢をつかむチャンスが失われてしまう。高度経済成長・近代化を遂げ、日本は豊かにはなったが、一方で行き詰まりを感じることも増えてきたのではないか。

  少子高齢化、労働人口の減少、過疎化、震災、心の問題、そして貧困格差。様々な問題が次から次へと噴出している。課題先進国とも言われる日本のこれらの課題に、真正面から向き合うことこそが、私たちがこの国に住み、働き、生きる意味なのではないか。そしてそれこそが、すべての国が成熟したその先のロールモデルの一つになり得ると私は信じている。FinTechベンチャーがもてはやされる昨今、果たして金融包摂を正しく実現する方向に向かっているのか。自戒を込めて、常に問い続けなくてはならない。

※ このコラムは、識者の談話を基に構成した記事です。