担当者の権限しかなくても、ひとり情シスとして任務を遂行できるのか――。10人いたIT部門が消滅し、たったひとり残されたIT担当者の奮闘を描いた「ひとり情シス顛末記」。この実話の当事者である著者が、読者から質問に答える。今回の問題は権限と責任。権限がなければ、IT投資もままならならず、責任だけを背負い込みかねない。さて、成瀬氏は何と答えるのか。

読者の質問・批判

 成瀬氏はひとり情シスとして、どんなことでも一人で判断して実行しているようだが、会社からはどんな権限を与えられているのだろうか。この連載をずっと読んでいるが、権限は限られているようだ。そんな状況で何かトラブルが発生したら、全責任を押し付けられはしないか。会社としての責任の所在も曖昧な気がするが…。

 組織の中にいると「権限があれば、もっと楽にできるのに」と思うことは少なくない。全社的に影響があるIT環境を抱えていれば、なおさらである。「どういった権限が必要と考えているか」「責任についての考えかたは」などの質問も頂いているので、権限や責任について考えてみる。

 「権限があればなぁ」と思うものは大抵、影響が大きく責任も重い案件の際だ。権限と責任はセットであるが、「権限だけあればなぁ」と都合の良い事を考えたりもする。他部門の末端で居候している権限もない、ひとり情シスの担当者が大きな案件を動かすときは苦労する。だが、やり方次第では権限が無くても仕事が進むことに気が付いた。

 例えばIT担当が設備投資の必要性を訴えても、その決定権は上層部にある。全社的に投資が抑制されているときは、本当に必要な案件であったとしても簡単には通らない。私の伝える力の弱さや人望の無さのせいもあるだろうが、そんな状態でも老朽化対策投資やソフトウエアのサポート終了などを起因とするシステム改修などは、稟議が通りやすかった。

1分で分かる「ひとり情シス顛末記」あらすじ
  • ピーク時には10人いたIT部門が消滅、著者も他部署に異動になり、居候状態で200台のサーバーを一人で管理することに
  • 企業のIT環境がこんな状況では良くないと考えた著者は、IT部門の復活を期して経営への提言を行おうとするが、情報は経営に上がらず、二度の直訴も失敗
  • 「ひとり情シスでやる」と意を決した著者は、まず老朽化した200台のサーバーを仮想化して管理可能状態にした。
  • 続いて、ITベンダーに丸投げしていた基幹システムのうち、データベースの管理を取り戻し、データガバナンスを確立。
  • さらに業務部門の要望に応え、業務システムの内製化にも取り組み、基幹システムのデータや業務部門に埋もれているデータを有効活用できるようにするとともに、データの一元管理をさらに推進した。
  • こうした取り組みにもかかわらず、ITや著者に対する意識や評価は変わらなかった。
  • 人間ドックで病気が発覚、著者は手術と入院で3カ月間にわたり出社できない事態になったが、社内のシステムは止まることなく、業務に影響を及ぼすような大事に至らなかった。
  • ただ、ひとり情シスのリスクを実感した会社は、IT担当者を新たにアサインし、長かったひとり情シス状態から脱却することになった。

 カンの良い方はお分かりだろうが、今まで使っていたものが無くなるのは困るのである。しかも、今まで使っていたものが使えなくなることに対する責任を、誰もが取りたくないのだ。一説によると、人は得られるものに対する感度より、失うことに対する感度は何倍も大きいと言われている。この心理が、投資承認の得やすさに影響していると思われる。