福岡ソフトバンクホークスでは、たとえ凡打でも選手は一塁まで全力疾走する。ほかの球団にもそのような選手はいるが、どこの球団よりも諦めずにプレーする。勝負にこだわる姿勢が根付いているのは、王貞治さんの功績によるところが大きい。

 王さんは、私がプロ野球入団2年目の1994年、福岡ダイエーホークスの監督に就任した。当時のホークスは弱く、負け癖がチーム内に蔓延していた。選手の闘争心や勝負師の本能に火を付けようと、王さんは試合後のミーティングで「負けて悔しくないのか」と繰り返し訴えた。その地道な指導は少しずつ選手の心に届き、王さんが監督に就任してから3~4年後、選手全員が勝負にこだわるチームになった。

24歳で4番打者に指名
その役割を教えた王さん

 プロ2年目の24歳で4番打者に指名された私は「4番打者の役割」について王さんから数多くのことを教わった。その1つは「自分の背中を見せて後進を引っ張る選手になれ」だった。4番打者はチームの柱であり、チームを牽引する存在。チームメートやスタッフ、ファンから「小久保が打てなかったらしょうがない」と思われるプレーを見せ続けなければならない。この教えをきっかけに「これでは若手選手に示しがつかない」と、その都度、自分のプレーを振り返り、自らを奮い立たせた。

 もう1つの教えは「気持ちの波をプレーに持ち込まない」ことだった。結果を出している4番打者は、天狗になって自分勝手なプレーをしたり、自己中心的な態度をとったりしがちだ。反対に成績が悪いときにはふてくされたような態度をとる選手もいる。いずれの態度もチームに良い影響を与えるわけがない。この教えを受けてから、私はどんな成績でも、いつも謙虚な姿勢で野球に取り組むことを心掛けた。

 王さんに教わった4番打者としての心構えや姿勢を片時も忘れず、41歳で現役引退するまでプレーができた。そのおかげで、通算2041安打、413本塁打という成績を残せたと考えている。

 現役引退後、野球解説者として第2の人生をスタートした翌年、野球日本代表(侍ジャパン)監督に就任したのも王さんの存在が大きい。監督就任の打診を受けた際、監督経験どころか、コーチの経験もない私が大役を務められるかどうか不安だった。王さんに電話で相談すると「まだ若いのだから失敗を恐れずに思い切ってやれ」と背中を押してくれた。この一言で覚悟を決めた。

参謀は真逆のタイプを選ぶ
選手は体力ある若手中心に

 日本代表チームの編成では、私なりの工夫をした。コーチについては、内野手コーチとバッティングコーチは私の野球観に合う人を起用したが、ヘッドコーチは真逆のタイプを選んだ。お願いしたのは、埼玉西武ライオンズのコーチで、青山学院大学の先輩でもある奈良原浩さん。私のようなホームランバッターではなく、奈良原さんは代打でバントができる“つなぎ役”の経験が豊富。実際、侍ジャパンでは私が気付かないところに的確な指摘をし、アドバイスをくれた。どのようなタイプを参謀に選ぶかで、チーム力に大きく影響することを実感した。

 選手については、将来の球界を担う20代半ばを中心に選抜した。侍ジャパンは、日本シリーズ終了直後の11月とペナントレース開始直前の3月に試合をする。肉体的疲労やオフの短縮により、選手の心身の負担は大きい。体力がある若手なら気力あふれるプレーができる。

 ペナントレースを最優先したい選手の気持ちは痛いほどよく分かる。選手候補一人ひとりと会って話し、意思疎通を図ることを大切にした。体力の充実はもちろん、「日の丸を背負ってプレーしたい」という意欲あふれる選手が集まってくれた。選出した選手が所属する球団の監督には電話をかけ、大切な選手の参加を許可してくれたことへのお礼を申し上げ、代表監督としての礼儀を重んじた。

 気力、体力が充実している選手が侍ジャパンには集結したが、昨年11月の世界野球WBSCプレミア12では韓国との準決勝で9回に逆転され、悔しい思いをした。これは一にも二にも監督である私の責任だ。世界一を奪還しなければならない。王さんから教わった野球哲学を代表選手たちに伝えながら、課題を克服するために「これは」と思った方法は積極的に挑戦していきたい。

2歳年下のイチローの言葉に穴があったら入りたかった

 私の野球人生に大きな影響を与えたのは王さんだけではない。2001年から米大リーグで活躍するイチロー選手もその1人だ。私は入団2年目にホームラン王を取ったことで目標を失い、翌3年目に大スランプに陥った。片やイチローは3年連続首位打者に向け突き進んでいた。オールスター戦の練習中、私は彼に「首位打者に輝いて、モチベーションが下がることはないの?」と尋ねたところ、彼は私の目をじっと見つめ、「小久保さんは数字を残すために野球をやっているんですか? 僕は野球を通じて胸の奥にある石を磨き、輝かせたい。数字だけ残しても意味はないと思います」と言った。2歳年下のイチローに諭され、自分が恥ずかしく、穴があったら入りたかった。この一言は野球との向き合い方を考えるきっかけになった。

 野球を通していろいろなことを学び、野球は私の人生形成につながった。私の座右の銘は「一瞬に生きる」。自分が生きている一瞬、一瞬に対し常に全精力を傾けることの大切さを説いている。全神経を集中して目の前のことに全身全霊を傾ければ、たとえ結果が出なくても悔いは残らない。侍ジャパンの世界一奪還に向け、一瞬を大切にしながら、しっかり準備していきたい。