青山学院大学は2015年の初優勝に続き、今年の第92回箱根駅伝でも優勝し、2連覇を達成した。陸上競技部の創部は1918年。歴史は古く、過去21回出場しているが、箱根駅伝予選会で28年間も惨敗が続き、成績が低迷した時期があった。私はその再建を託され、2004年に監督に就任した。

 箱根駅伝の監督の中には箱根駅伝の出走経験者は少なくない。しかし、私には箱根駅伝の出場経験はないし、出場校OBでもない。陸上競技の監督経験もなく、箱根駅伝の監督としては異色の経歴だった。

中国電力陸上競技部に入部
捻挫で5年目に引退へ

 広島県立世羅高校で陸上競技を本格的に始めた私は、中京大学体育学部を卒業し、中国電力の陸上競技部に第1期として入社した。振り返ると、最も真剣に陸上競技に向き合ったのは高校時代だった。大学、社会人のときは、何となく陸上を続けていたと後悔している。中国電力入社1年目に不注意で右足首を捻挫し、後遺症を引きずり、入社5年目に引退した。

 それから10年間、中国電力では社会人選手ではなく、会社員生活を送った。営業所、サービスセンターに勤務し、全く異なる世界で挫折を繰り返した。幸い、私には高校時代に自分の決断と覚悟によって飛躍した経験があった。どん底にいても頑張れば、拾う神もあるはず、という気持ちで仕事に邁進した。手前味噌だが「伝説の営業マン」と呼ばれる業績を残し、新規事業の立ち上げにも抜擢された。この経験がのちの監督生活で大きく役立った。

 知人の紹介で青山学院大学の監督に就任し、10年ぶりに陸上競技に戻って感じたのは、私の現役時代とほとんど変わっていないことだった。ビジネスの世界では、今日の常識は明日の非常識と考え、工夫して進化する。高校時代と会社員時代のように覚悟を持って取り組み、挑戦を続ければ、箱根駅伝の優勝は不可能ではない、という思いがよぎった。

 それには、一にも二にもよい組織をつくる必要がある。「上司がいるから頑張る」「上司がいないからサボる」ようでは強い企業にならないのと同じで、私がいようがいまいが常に戦う集団にしなければ、青山学院大学陸上競技部は優勝を狙えるチームになれない。

 こう考え、監督就任時の初ミーティングで3つの行動指針を選手に伝えた。1つ目は「感動を人からもらうのではなく、感動を与えることの出来る人間になろう」。2つ目は「今日のことは今日やろう。明日はまた明日やるべきことがある」。3つ目は「人間の能力に大きな差はない。あるとすれば熱意の差だ」。人や組織の成長は、能力×熱意×方向性のかけ算だと思う。能力は同じという前提に立てば、ライバルより熱意があり、正しい方向で努力すれば、チームも個人も必ず成長する。

日本記録10年以上未更新の種目
男子で6割、女子で5割に

 スポーツ推薦枠を大学に用意してもらい、東京・町田市にある寮で選手8人と私たち夫婦との共同生活が始まった。彼らに「4年で君たちを箱根駅伝に出場させることは約束できない。だが、必ず優勝するチームに育てるから、一緒に勝てるチームに育てるための礎を築いてほしい」と伝えた。今の青山学院大学陸上競技部があるのは彼らのおかげだ。勝つために全力で向き合うチームの基盤となるルールをつくり、実践してくれた。今でも悔やんでも悔やみきれないのは、1期生の彼らを箱根駅伝という舞台に立たせてあげられなかったことだ。

 陸上競技に関わる1人として、2020年開催の東京五輪に向け陸上競技界は今まで以上に挑戦する必要があると思う。運動用具や施設、栄養学、医学などトレーニング環境の向上はめざましいが、日本記録を10年以上未更新の種目は男子で6割、女子で5割に及ぶ。1993年のJリーグ戦開幕で身体能力の高い人材の流出が要因と考えている。才能ある若者がプロ野球やJリーグではなく、陸上競技に視線を注ぐにはビジネスとして健全に発展し、選手の努力が報われるようにすべきだ。

 陸上競技では中高連、高体連、大学地区連合、実業団連盟、日本陸連と組織が分かれ、一貫した強化組織ができていない。各連盟の現場の指導者が集まり、強化方法を話し合う場をつくるほか、年代ごとの基本育成プランや目標タイムを設定する必要がある。サッカー日本代表のように代表監督、コーチ、トレーナーを集結させ、選手は各所属先から集める。陸上競技に関係するすべての団体が責任を持って出向扱いのルールなどを整備してほしい。

実業団、大学、高校が競うドリーム駅伝で世間の話題を

 「東京マラソン」のようにたくさんの観衆を魅了する華やかな大会の開催も面白い。一例を挙げれば、箱根駅伝の上位10チームと、実業団が参加するニューイヤー駅伝上位10チーム、高校選抜の3チームが競う「ドリーム駅伝」を開いたら盛り上がると思う。メディアの力は欠かせないし、ITの活用によって陸上競技専用の動画サイトやチームの支援サイトなどを立ち上げれば、ファン層の拡大にもつながるだろう。また、規制緩和も必要だ。陸上競技の世界では、スポンサーは1社に限られている。複数のスポンサーを可能にすれば、選手は活動しやすくなる。

 青山学院大学陸上競技部の監督として10年ぶりに陸上競技に復帰した際、正直、会社員時代の経験がこれほど生きるとは思っていなかった。一見、無駄と思えることは多いが、無駄と思わずチャレンジしていくことは大切だ。無駄で終わる数々の取り組みを容認する懐の深い社会でなければ、優れたものは生まれない。これからも「無駄を学ぶ」姿勢でチャレンジを続けていきたい。