たまには「歩いて」みよう
イラスト:湊川あい
イラスト:湊川あい
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 「なんかさ、僕のところにこんなクレームが来たんだけれど、ちょっと対応してもらえる?」。課長の衣笠の問いかけに、舞子はパソコンを打つ手を止めた。

 購買システムチームの繁忙期は分かりやすい。6月末、9月末、12月末、3月末。四半期が終わるタイミングだ。ユーザーの業務、すなわち購買部門の繁忙期に合わせて、システム運用部隊も忙しくなる。

 とりわけ今年は新しい購買システムの運用開始、1年目。さまざまな未知のトラブルや問い合わせ、クレームや要望でより一層忙しい。

 「まったく、なんでわざわざ衣笠さんにクレームを入れるのよ。現場の私たちに言いなさいよ」

 心のなかで毒づきながら、衣笠からのメール転送を待つ舞子。通常、ユーザーからの問い合わせやクレームは、購買システムチームのグループメールに入る。課長代理の舞子以下、4人が確認して対応するのだが、時々こうして部課長に直接、文句を言ってくるユーザーがいる。

 「購買システムが分割支払いに対応していない。支払い手続きが煩雑で困る。何とかしてくれ」。差出人は、浜松事業所の購買課の主任。淡々と窮状を訴えている。

 アリア機械から取引先への支払いには大きく2つのパターンがある。一括支払いと分割支払いだ。

 分割支払いとは1つの注文に対し、12回払いなど複数回に分けて支払いを完了するもの。ところが舞子たちが運用している購買システムは、なぜか分割支払いには対応していない。注文データ1件に対し、支払いは1件(1回)のみだ。

 この手の業務系の問い合わせ対応は、すけさんに任せている。舞子は立ち上がって、ずんぐり姿を探す。だがどこにもいない。トラブル対応で購買部に出かけたようだ。アーサーもアキナも電話対応中。

 「仕方がない、私が対応するか」。クレームの内容自体は珍しいものではない。これまでも何度も受けて対応してきた。

 購買システムチームの対応方針は決まっている。「システムの仕様です。諦めてください」

 舞子はすけさんが過去に出したメールを探し、手早くコピー&ペーストして返した。5分で完了。ところがその直後、衣笠のデスクの電話が鳴った。

 「並木さん。いったいどんな回答をしたの? さっきの浜松の人、すごい怒って電話してきたんだけど…誠意がないって」

 とほほといった表情で、再び舞子に顔を向ける衣笠。 ユーザーの気持ちは分かる。とはいえ、なぜ自分をすっ飛ばして、わざわざ課長の衣笠にクレームを言うのか。舞子の怒りは増幅する。

 「そうはいっても、これは仕様ですから。パッケージの作りがそうなっているんです。それに、仕様を許可したのはあっち(購買部)でしょ? なぜ私たちが文句を言われなきゃいけないんですか?」

 まるで新入社員レベルの愚痴だと分かりつつ、舞子は自分を抑えられない。「いったい、どうしろっていうのよ」

 舞子は机の上に置いてあったペットボトルの紅茶をがぶ飲みした。

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 ドラクエの旅は今夜も続く。勇者まいこ一団は次々に強敵を倒し、新しい国や新しいお城、新しい町を渡り歩く。眠る前のひととき、会社でのイライラやモヤモヤをドラクエの世界の楽しい思い出で上書きする。それが舞子の日課だ。

 ドラクエでは既に訪れた城や町、村を行き来しないと解けない謎がある。一度訪れた土地は、瞬間移動の呪文「ルーラ」を使えば、一瞬で飛んでいける。何とも便利な世界だ。

 「たまには歩いて移動してみよっかな♪」

 今日はまだまだ冒険を続けたい。そう思った舞子はルーラをキャンセルする。つまみを片手に、画面の中の仲間たちを右に左に操作。しばらく歩いたそのとき、画面の端に黒いアイコンを見つけた。「ほこら」がある!

 「こんなところにほこらがあったの? 見落としていたなあ」

 勇者まいこはすぐさま方向転換し、ほこらのアイコンに身を重ねる。寄り道は有意義だった。ほこらの老人から貴重な情報を入手できた。そして、宝も発見できた。

 ルーラですっ飛ばさなくて良かった。たまには歩いてみるのもいいものだと実感する。

 待てよ。「私、ルーラに頼りすぎていたのかも…」。舞子は握っていたコントローラーをひざの上に降ろして、独りつぶやいた。

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