「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む)

 …ううむ、大変にややこしい。これは、日本の個人情報保護法における「個人情報」の定義の一部である。2016年1月に部分施行された改正個人情報保護法では、この定義に加え、生体認証データなどの「個人識別符号」を含む情報も加わった。

 データ利活用ルールを議論する上でやっかいなのは、法律上の個人情報という概念が、実際に個人が秘密にしたい「プライバシー情報」と必ずも一致せず、時として大きく乖離してしまい、様々な混乱の温床になっていることだ。プライバシーインパクトがほとんどない案件で、個人情報保護法に抵触した企業が強い非難を浴びたり、逆に「個人情報保護法に抵触しないから、プライバシーは侵害していない」といった主張が飛び出したりする。

 プライバシー保護を目的としつつ、プライバシー情報とは似て非なる「個人情報」という概念はどのように生まれたのか。日本のプライバシー研究をリードし、今は個人情報保護委員会 委員長を務める堀部政男氏に聞いた。

日本では、プライバシーという概念は、米国や欧州から輸入された印象があります。初めてプライバシーの概念が日本に導入されたのは、いつごろでしょうか。

個人情報保護委員会 委員長の堀部政男氏
個人情報保護委員会 委員長の堀部政男氏
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 戦前の1930年代から、日本の法学者の間で、英米で判例法として積み上がった「プライバシー権」の概念を日本に取り入れようとする動きはありました。ただ、プライバシーという概念はとらえどころがなく、日本語で「内秘権」などと訳しましたが、定着しませんでした。

きっかけは週刊誌のスキャンダル報道

 プライバシーの概念が国民の間で注目された一つのきっかけに、非新聞系週刊誌の発刊があります。戦前までは、週刊誌と言えば「週刊朝日」「サンデー毎日」など新聞社系が多く、内容も新聞の延長でした。

 そこに1956年「週刊新潮」が、続いて1959年に「週刊文春」が創刊され、女性誌の創刊も相次ぎました。これらの雑誌は、有名人のスキャンダル記事や皇室報道を通じ、部数を大きく伸ばしました。「メディアが私生活をのぞき見する」という、メディアプライバシーの問題が意識されるようになりました。

 そんなおり、1959年の東京都都知事選で落選した有田八郎氏をモデルにし、有田氏の私生活を含めた描写した三島由紀夫の小説「宴のあと」が、中央公論で連載されました。中央公論は有田氏の抗議を受けて「書籍にはしない」としましたが、それを新潮社が書籍化しました。有田氏は著者と新潮社を訴え、日本の裁判で初めて「プライバシー」と「表現の自由」の問題が争われました。

 この頃から日本の法学者の間でも、プライバシー権に関する欧州や米国の判例が改めて日本語訳され、比較法学会などで紹介されるようになりました。

 1964年9月、東京地方裁判所は「宴のあと」裁判の判決で、プライバシー権を「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」とし、プライバシー侵害を認める決定を下しました。