製品にはそれぞれ寿命がある。長い年月をかけて売り上げを伸ばし続ける長寿製品がある一方、売り上げの急増と急減を短期間のうちに示す短命製品もある。

 ほぼ30年間コンピュータ関連記者を務めてきた筆者から見て、最も劇的だった短命製品を紹介しよう。北米でデビューしたとたん、空前の大ヒットを記録したものの、わずか5年で引退に追い込まれたコンピュータ製品である。

 通り名をSkylineという。ITpro読者でSkylineを覚えている方はいるだろうか。日立製作所が北米で販売していたIBM互換メインフレームの愛称だった。

「Skylineはコンピュータのnomoです」

 日立がSkylineを北米に投入したのは1995年、この年と翌年、Skylineは売れに売れ、日立のコンピュータ事業は年商2兆円を突破した。

 北米の販売を担当していた日立データシステムズ(HDS)の米国人幹部が来日し、「Skylineはコンピュータのnomoです」と説明したことを覚えている。

 nomoとは野茂英雄投手を指す。1995年に渡米してドジャースに入り、1995年から1997年まで3年間、二桁勝利を上げた。HDS幹部は「日本からやってきた凄い選手」にSkylineをなぞらえたわけだ。

 SkylineはいわゆるIBM互換製品で、相次いで購入したのはIBM製メインフレームを使ってきた米国の大手企業であった。IBM機をSkylineに入れ替えても、顧客はそれまで使ってきた業務アプリケーションをそのまま動かせた。Skylineの上でIBM製オペレーティングシステム(OS)が動いたからである。

 Skylineは処理性能でIBM製メインフレームを凌駕していた。単一プロセサ当たりの性能差は圧倒的で、速いプロセサを求めていた米国の大企業はSkylineに飛びついた。

 なぜ性能に大差が出たのか、理由があった。IBMは1994年からメインフレームのプロセサに使う半導体技術をそれまでのバイポーラからCMOSへ切り替え始めた。だがIBMが当初出荷したメインフレーム用CMOSプロセサはさほど性能が出なかった。それに対し、日立は従来のバイポーラ技術に磨きをかけ、高性能のSkylineを開発した。

 ただしSkylineが輝いたのは1995年と1996年の2年間で、1997年以降、出荷台数は減少していった。IBMが着々とCMOSプロセサの性能を上げ、1998年にはSkylineに追いついたからである。

 ついに2000年、日立はSkylineの北米販売から撤退した。鮮烈なデビューからわずか5年でSkylineは引退を余儀なくされた。

「撤退」ではなく「事業転換」を発表

 Skylineの北米撤退について筆者は日経コンピュータ2000年3月27日号のニュースレポート欄に記事を書いた。17年前の日経コンピュータ記事を再掲し、感想を付記してみたい。年号表記を4桁にして句読点の表記を直し、Webで表示しづらい数字を書き替えたほかは原文通りである。