言葉を使う仕事を30年近く続け、本をかなり読んできたつもりだが、言葉の世界は広大だから知らない言葉に接することがしばしばある。

 一口に「知らない」と言っても色々である。意味や読み方を勘違いしていた場合は情けない。さすがに例示は控えるが難しい言葉ではないのに何十年も間違って読んでいたりすることが結構ある。人と話していて先方から「何々ですね」とさりげなく指摘されて初めて誤読や誤解に気付くわけだが恥ずかしい。

 逆に知らなくて当然と居直る場合もある。英文字略語あるいは片仮名で表記された言葉に接し、その意味が分からなかったとしても「日本語ではない言葉を使う相手が悪い」と思う。

 一カ月ほど前、後輩から仕事上で助言を求められた時、彼が考えをまとめたメモを読む機会があったが、大事な結論の所にこちらが生まれて初めて見る言葉が片仮名で記載されていた。手元の辞書を引いたが出ていない。やむを得ずインターネットを検索してみるとそれなりに使われている言葉だった。

 後輩には「一部の関係者しか分からない言葉は駄目」と言うつもりだがまだ返答していない。多くの人が分かる言葉を代替案として示したいのだが思いつかない。

 考え込んでしまうのは、知らなくても恥ずかしいとは思わないが当たり前と居直るわけにはいかない言葉に接した時である。日本語になっており、かなりの人が使っているから読んだり聞いたりしたことはある。だが自分としては使わない。

 一例を挙げると「動機付け」という言葉がある。6、7年前であったか、教育関係者が集まる会合に数カ月ほど出席を続けた際、自分以外の出席者がこの言葉を使って議論を進めていく様子に違和を感じた。知らなかったわけではないが自分としては使わない言葉であった。なぜかと言われても答えにくく、腹に落ちないとしか言いようがない。それから「モチベーション」という言葉も使わない。

 同じように馴染めない言葉として「抽象化」がある。10数年前、ある人に「日本人は抽象化の能力が乏しい。だからソフトウエアをうまく作れない」と言われて納得できず、あれこれ議論して一応分かった気になったものの、依然として抽象化という言葉は苦手である。30年ほど前、記者になった当初、原稿を提出するたびに「とことん具体的に書け。抽象的な表現を使うな」と先輩から叱られたせいかもしれない。