「責任感がないのか」

 ユーザー企業に転職してシステム担当として初めてかかわったプロジェクトで感じたのは、上辺だけのやり取りでユーザーもベンダーも責任を果たそうとしない奇妙なほど滑稽な現場の姿だった。

 私は、IT業界の多重下請け構造の末端での生活に限界を感じて転職し、下請けSE・プログラマーからユーザー企業のシステム担当になった(参照:『「この電話は使われていません」、親身になってくれた友人がIT業界の闇に消えた話』)。28歳の時だった。

 転職が決まった際、心に浮かんだことは、たった一つ。 どんづまりから抜け出せた…。ただそれだけだった。

 解放感はものすごいものがあった。

 転職先の業種はサービス業だったので、私でも、SE・プログラマーではない仕事ができるかもしれない。期待に胸を膨らませた。

 自分が新しい会社で、携わる仕事のイメージは「サービスマン」だ。きちんとネクタイを締めてお客様をもてなす、そんな自分の未来のイメージを勝手に想像して、勝手にうきうきした気分になった。

 このころの私は社交的だと胸を張って言えるような状態ではなかったが、SE・プログラマー以外の仕事でやり直せる、となんとなく思い込んでいた。転職を考えていた時には、自分には何もできない、としか考えられなかったのに、風向きが変われば意識も変わる。自分のことながら、人間とはつくづく現金な生き物だ。

 そんな思いを胸に秘めて、サービス業の会社に入ったのだが、入社してすぐに行われた人事担当の部長との面談で期待は裏切られた。思いとは裏腹に、「システム担当をやってほしい」との打診を受けたのだ。

 転職した会社はこれからシステムを本格的に導入し、近代化を図ろうとしている、という。言葉はまだ一般的ではなかったが、IT経営実現のために、私のような人材を必要としていたらしい。

 入社後の面接で配属を言い渡されたので、正式にはシステム担当として入社したわけではなかったが、今までの経歴から「やれそうな仕事」だと判断されたのだろう。ちょっと残念な気持ちがしたが、仕方ない。

 派遣SE・プログラマーから足を洗ったのは、ITが嫌いになったからではなかった。多重下請けの末端で、派遣というスタイルで働くことに限界を感じたにすぎない。少なくとも、ユーザー企業のシステム担当なら、会社の期待を担って業務に取り組める。

 今までとは違う立場でIT、システムに関わってみよう!気持ちを切り替えてやってみることにした。

 こうして新たな立場で第二のシステム屋人生がスタートした。

「自分の会社に自分の机がある」

 ユーザー企業に入社して、一番うれしかったのは、「自分の会社に自分の机がある」ことだ。私にとっては初めての経験だった。