「この電話は現在使われておりません」

 いたたまれない気分で転職活動を続けた時、親身になってくれた彼にかけた電話から聞こえた最後のメッセージはこうだった。

 『「SEが足りなくなる!」、新聞記事に煽られて専門学校に通った話』、『「自分のような者でも居場所があるかも」、IT業界を目指しドロップアウトから脱した話』と、2回にわたってSE・プログラマーになる前の話が続いたが、ここからは、派遣SE・プログラマーとして過酷な日々を過ごし、限界を感じて転職を考え始めた時代の話に戻りたい。

 会社を辞めよう、と漠然と思い始めたが、次の勤務先が決まっているわけではない。情けない、と思われるかもしれないが、とにかく逃げ出したかった。

 ここにいても、どんづまりから抜け出せるとはどうしても思えなかったのだ。仕事を辞めたい、でも行く当てがある訳でもない。

 「また根無し草の生活に戻るのか…」

 先が決まらないまま今の仕事を辞めれば、当然のごとく路頭に迷うことになる。また足元がおぼつかない日々に戻るのか…。落ち込んだ気持を引きずったまま前にも後ろにも動けない日々が続いた。

 そんな日々を過ごしつつ、しばらくは嫌々ながら現場に通った。一度、切れた態度を見せて以来、嫌み上司は腫れ物に触るように私に接するようになった(『「ぶちっと何かが切れた音を聞いた」、陰険上司に手を出さず足を出した話』参照)。だからといって私の態度は変わることもなく、ただ事務的に彼に接したし、やや理不尽と思われるような案件に関してもこなしていった。

 この現場にいる限りは、終わりの見えないマニュアル作りを休日返上で続けるしかない。正直なところ全くゴールが見えないプロジェクトだ。

 「いつまで続くのだろう…」。あきらめの気持ちと誰か救いだしてくれないか、という藁をも掴む思いが交錯していた、そんな時期だった。

 前回も書いたが自分にできるのは多少のプログラミングと仕様書の作成くらいしかない。社交的な性格でもない。派遣で鍛えられたから多少の自信は付いたが、そこまで体力があるわけでもない。

 今思えば、人生に対する視野が狭かった。病気に罹って体力に自信がないのに加えて精神的にも参っていたことで、どうかすると、 ネガティブに方向へ流れていったのだろうか。

 ただ、それでもなんとかしなくてはならない、という気持ちは持っていた。

ハローワークで胃が痛みだす

 思い立ってある日、有給を使ってハローワークに行ってみた。人込みでむんむんする建物に入ると遠目にも壁にたくさんの求人票が貼り出されているのが見えた。見渡すと、年配の男性が大半を占めており、若者は少数だ。

 求人票を目を皿のようにして見つめている人の群れをかけ分けて壁の近くまで近付き、他の人同様に求人票を舐めまわすように見た。求人票は職種ごとにまとめて貼ってあるようだ。初めに「コンピューター」関連の求人票が貼り出されている場所に行ってみた。

 「SE・プログラマー」の求人はいくらでもあった。ところが、よく見てみると、私が勤務していた会社よりさらに規模が小さい会社が多かった。

 二次派遣、三次派遣にうんざりして転職を考えているのに、現在のスキルで応募可能な仕事はさらに下の四次派遣、五次派遣をしていそうな会社の派遣SE・プログラマーの仕事ばかりだった。