派遣SE・プログラマを経てユーザー企業に移り、さらにユーザー企業内でシステム部門から業務部門へと立場が変わった。その過程で様々な人たちに出会った。

 派遣SE・プログラマ時代を思い起こせば、「プロフェッショナル」と呼べる人がいた。初めて「この人はプロだな」と思ったのは、熟練のテスターであった。今思えば、フリーのエンジニアだったのだろう。見かけは普通のおじさんだったが、仕事になると確実に結果を出していた。当時私が派遣されていたSIerの管理職も一目置いていた。

 仕事を終えた彼の姿を今も思い出すことがある。彼はヘビースモーカーだったようで、会社を出るなり、いつもたばこに火をつけて空に向かって大きく息を吐き出していた。たばこの煙がどこまでも舞い上がるように思えた。一服すると、足元でたばこを消し、両手をポケットに突っ込み、足早に去っていった。今となっては褒められる行為ではないが、私には印象に残っているシーンだ。

 彼は「スペシャリスト」だった。担当領域では期待値以上の結果を残しつつ、他人の領域に関しては一切口出ししなかった。その頑固なまでの姿勢に当時憧れた。今もお元気ならば、かなりの高齢であるはずだ。当時かけだしだった私のことなど覚えていないだろう。かなわない夢であるが、一度会って話がしてみたいものだ。

 「この人はプロだな」と思ったもう1人は、派遣時代に出会った同年代のSEだ。三次、四次請けの環境に負けることなく、元請けのSEに交じって最前線で戦っていた。私にはとてもまねできないことだった。今も技術の最先端を歩いているだろうか。彼からは境遇に負けず技術に邁進する姿勢を学んだ。

 こうしてみると私はスペシャリストに引かれるところがあるようだが、もちろんゼネラリストとして素晴らしい人もいた。生命保険会社の現場で出会った人たちはゼネラリストであり、よく仕事ができた。ただ当時の私は、「どんづまりからはい上がるには一芸で勝負しないと無理だ」と思い込んでいたこともあり、ゼネラリストの仕事ぶりには憧れなかった。

 ユーザー企業に移ってデータモデリングに興味を持ち始めた頃、米国ではデータモデラーが「DA(データアドミニストレイター)」というスペシャリストに位置付けられていることを知り、うらやましく思ったものだ。

「この人は先のことを考えているのだろうか?」

 「この人はプロだな」と思った人からは良い影響を受けたが、そのほとんどは当時所属していたソフトハウスではなく、社外の人だった。一方で、反面教師となる人は所属していたソフトハウスの人が多かった。

 当時、「この人は先のことを考えているのだろうか?」と疑問を抱かざるを得ない人に多々出会った。正直なところ、そうした人たちの姿を見て、明日の自分の姿を見せつけられているようで気が重くなったこともあった。今、彼らはどうしているのだろうか。

 今から数カ月前、通勤で使用している都営新宿線・新宿駅の長いエスカレーターで、以前同じソフトハウスに勤めていた人と偶然にすれ違った。私が下り、彼が上り、一瞬すれ違っただけで目線が合うこともなかったが、私にはすぐに分かった。変わりなく生活しているように見え、生意気に聞こえるかもしれないが、ほっとした。