ぶちっという音を聞いた。

 その当時、怒った状態を「切れる」とは言わなかった気がするが、今振り返ると文字通り、自分の中の何かが切れた。そして確かに音が聞こえた。

 あるソフトハウスの社員だった私は、大手コンピュータメーカーのスペシャリストだと名乗って、ある金融機関のシステム開発現場に入り込んでいた(前回記事『「頼む、死んでくれ」、二重の経歴詐称で地獄に行った派遣SEの話』参照)。その現場で私の直属の上司であったメーカーのプロパー社員は意識的であったのか無意識であったのか定かではないが、ことあるごとに嫌がらせをしてきた。

 前回記事に書いた通り、「直属の上司は性格がねじ曲がっているとしか思えなかった」。繰り返される嫌がらせに、私はその陰険上司を憎んでいる、と言っても過言ではない状態になっていた。

 とうとう、ある日、私は切れた。拳を握りしめ、陰険上司をにらみつけた。殴ってやる。もうどうなってもかまわない、そんな気持ちになった。

 それでも「人に手を出してはいけない」という最後の砦はなんとか守った。そのかわり、足を出した・・・。

陰険極まりない課長はにこにこ笑う

 ソフトハウスで派遣のSEやプログラマーをしていた時、地獄を見た話を続けたい。私が地獄と呼んだ金融機関のシステム開発現場の雰囲気は最低最悪だった。その理由は陰険な上司の存在や劣悪な労働環境にあった(関連記事『「動くまで出るな」、冷凍マシン室に入れられた話』)。もう一つの理由として長時間労働が酷かったことも挙げられる。

 現場は都下にあったため、私は出勤に片道2時間もかけていた。にもかかわらず、残業するのが当たり前、終電より前の電車に乗って帰るのは罪、と言わんばかりの雰囲気があった。

 その現場の長時間労働を象徴する出来事を紹介したい。クリスマスイブの夜に、真っ暗なビルのエントランスで、真っ黒なクリスマスツリーを見た話である。

 この話の主役はプロジェクトの現場を取り仕切っていたリーダーで、彼は大手コンピュータメーカーの課長だった。40歳は過ぎていたが独身だと聞いた。その課長はとにかく陰険だと言われており、私の上司をしばしば苛めていた。

 これも前回記事に書いた通り、私の上司は「(課長から苛められた)鬱憤を部下や私のような外の人間にぶつけていた」。つまり陰険課長が陰険上司を苛め、陰険上司が私を苛めていたわけだ。

 とはいえ、私は上司を嫌っていたものの、課長には変な感情を持っていなかった。私が配属された数日後の夜、課長が近くの居酒屋で私の歓迎会を催してくれたことが大きかったのかもしれない。

 配属されて数日しか経っていなかったにもかかわらず、課長が陰険極まりないという噂は私の耳に届いていた。ところが課長は鍋をつつきながら、「君には期待しているよ」とにこやかに話しかけてきた。

 その後もにこにこ笑う彼の顔を見ると、噂されている陰険な人には到底思えなかった。私の歓迎会でも、話しかけられた私が口ごもってしまい、妙な間が空くと、すかさず鍋から具をよそってくれるなど気を遣ってくれた。

 それからしばらく、歓迎会で目の当たりにした課長の姿と、彼に関する噂とのギャップを埋めることができなかった。私に嫌がらせをする陰険上司に対して、課長が苛めを続けていることは分かったが、私に対しては一度もそういう態度を示すことがなかったからだ。

 「取り敢えず当たらず触らずでいこう」「火の粉が降ってこなければそれでいい」と割り切って、その課長に接していた。しかし、ある出来事が起き、火の粉がもの凄い勢いで私にも降り注いだ。課長が私の上司と同様に、とんでもない人だということが分かってしまった。