調理用の白衣を着ている者もいれば、配送用ユニフォームを着ている者、そしてスーツを着た者もいた。仕出し弁当工場の調理担当、出荷担当、そして営業担当や事務担当だ。私が招集をかけ、集まった全員が机に横置きに広げられたA3用紙をのぞき込み、頭を突き合わせるようにして議論した。

 何について議論したのか。皆の航海図となるべき、新しい業務フロー図を巡ってである。新工場を建てるに当たり、私は業務の流れを変えようと決意した。新しい業務フローを現場の担当者に見てもらい、それで仕事ができるかどうか、皆で侃々諤々、意見を出しあった。

 私は新工場の建設責任者であり、業務設計者であり、業務を支える情報システムの開発責任者でもあった。業務フロー図のたたき台は私が描いた。A3用紙を横に使い、一枚では足りなくなると横に追加していった。

 業務フローを描くに当たり、私自身がストーリーテラーであることを意識した。語り部として、現場の人間たちが主人公として活躍する「物語」を作り上げる。現場の一人ひとりが主人公だ。関係する全員が新しい業務の世界に入り込めるようにする。そう考えながら新業務フローを描き上げた。

 現場の担当者たちが業務フロー図を見るのは初めてだった。当初は意味が分からず、きょとんとした顔をしていた。とにかく担当者に業務フローを通じて、新工場の業務という新たな物語の世界に入り、実感してもらわないといけない。赤ペンを渡し、業務フロー図のフロー線を赤ペンでなぞってもらった。

 皆が赤ペンを持ち、線をなぞり続けた。そのうちに、少しずつ新しい業務のイメージがわいてきたようだった。そうなると「ここに線が引かれている意味が分からない」「こんな動きは今までしたことがない」と否定的なことを言う者が出てきた。

 無理もない。仕事のやり方を変えると言われ、謎めいた図を見せられたら、たいていの人間は及び腰になるものだ。意見を言った人間に再度赤ペンでフロー線をなぞってもらい、その横で私が新しい業務のやり方をもう一度説明した。

 理解が進んだのか、徐々にではあったが、前向きな意見が出るようになってきた。赤ペンでなぞった線とは別に、「ここにも線があるはずですが」と例外パターンを指摘してくれる。「こことここを結んでしまったほうが現場としては樂です」と改善案を述べるものも現れた。

 新しい業務フローを検討するに当たっては、工場の現場、隣接していた営業所、それぞれの担当者を招集していた。該当部署ではない者にも業務フローに対して意見を求めた。それが嫌だったのか、業務フロー図が分からなかったのか、あれこれ理由をつけて検討会を欠席する者もいた。

 私は辛抱強く開催し続けた。私のしつこさに根をあげたのか、諦めたのか、それとも理解できるようなってきたからか、理由はともかく、少しずつ欠席者は減っていった。

新工場にかかわる一切合切を担当

 ソフトハウスで派遣のSEやプログラマーをやり、サービス業に転職し、ユーザー側の情報システム担当者になった私は基幹システムの再構築を手掛けた後、弁当工場の責任者に異動した。2006年、42歳になっていた私は工場の移転を命じられた。この辺りの経緯は前回の本欄に書いた通りである。

 「土地探し、施工業者選定、調理機器選定、新たな業務フローの決定、そして新情報システムの構築まで」、全てを担当することになった。