「ふざけんじゃねえよ!」

 その叫びを聞いたのは1990年のことで私は26歳になっていた。もう25年も前の出来事だが当時の光景をはっきり思い出せる。そこは私が仕事を始めてから3カ所目の現場だった。

 2度の大病を経て進学もせず毎日ぶらぶらし、フリーターをしながら、時にはギャンブルをして時間を潰していた私は、ある時思い立って専門学校でプログラミングを学び、中堅ソフトハウスに入社した(『「動くまで出るな」、冷凍マシン室に入れられた話』参照)。1988年のことである。

 それから2年余りで3カ所目の現場に行くことになったのは配属変更願いを出したからである。厳密なルールは無かったが、同じ現場にある程度の期間いた社員は「他の現場へ動きたい」という希望がある場合、配属変更願いを出せた。

 最初の現場に派遣された私はそこでソフトウエア業界の多重下請け構造を思い知った(『「新人なのに経験者」、偽の職歴で売られた話』参照)。そして1年余りが過ぎたころマンネリを感じ始めた。親しくなった先輩から「もう少しここで勉強しろよ」とも言われたが他の現場を見たいという思いの方が強かった。

 最初の現場には、何年も居着いている年配のプログラマーが数人いた。ようやく社会人になって仕事を始めたばかりなのに、生意気だった当時の私からすると、彼らは「そこから抜け出せない人」に見えた。自分は違う、このままここに固定されてしまうなんて真っ平だ。たった1年でそんな気分になっていた。

 私より長くその現場にいた先輩や同僚には申し訳なかったが、自分の気持ちに嘘はつけなかった。変化を求める気持ちが自分の中に残っていたのかもしれない。意を決して他の現場への異動願いを営業に出した。

 もっとも希望通りに異動できるとは限らなかった。大規模プロジェクトに増員がかかる場合ならすぐそこへ異動できたが、そうでない場合は簡単に動けない。現場に穴を開けてしまったり、逆に派遣できずに遊ばせている社員を出してしまったりすると売り上げが減る。だから営業は異動希望を慎重に取り扱っていた。

 複数人から希望が出た場合、会社としてはパズルを解くように次から次へと人をうまく現場に当てはめていく。逆に言うと他の現場の人間が動いてくれないと別の人間を動かせない。複数の現場で人が異動するタイミングを逸し続けた結果、同じ現場に10年以上縛り付けられていた先輩もいた。

 それとは逆に、配属を変更するチャンスはあったものの、異動希望をあえて出さず同じ現場に居続けていた人もいた。当時は景気がよかったので金融関係のプロジェクトから大量の増員がかかることがしばしばあったにもかかわらず動かなかった。もっとも大量の増員が急遽かかるプロジェクトが火を噴くのは誰の目からも明らかだったから避けて正解だったとも言える。

 一つの現場に自分を縛り付けている人は明確な意図があってそうしているわけではなく、なんとなくそこから出られなくなったようだ。ある程度同じ現場にいると、その現場ならではの過ごし方を覚えるようになる。最低限何をしなければならないか、要領がわかってくる。そうなると慣れた現場はぬるま湯のようになり、居心地は悪くない。そうなったら、なかなか抜け出せない。

なぜか現場で算数のテストを受ける

 3カ所目の現場で私は3次請けという立場だった。常駐先になる2次請けの会社はさらに大きな1次請けの会社から仕事を請け負っていた。内容は大手鉄道会社の座席予約システムの一部であった。勤務地は都心とは逆の方向にあったのでラッシュアワーに遭うことはない。「通勤は楽そうだ」と思ったことを覚えている。

 私が勤めていたソフトハウスから5人の技術者がその現場へ配属されることになった。対象となる座席予約システムの開発プロジェクトが本格始動したことにより、増員がかかったのだろう。

 現場に入った初日、私は同僚4名と一緒にテストを受けさせられた。会議室に押し込められ、算数に毛が生えた程度の問題を解いたと記憶している。後で分かったことだが、2次請けの会社はテストの結果を口実にして、あまりにレベルが低い人を断ったり、場合によっては3次請け会社との契約を打ち切ったりしていた。