私たちの住む社会には多様なジレンマがある。ゲーム理論ではこのような代表的ジレンマをモデル化している。ここでは中でも有名な「囚人のジレンマ」の構造を詳しく解説すると同時に、この仕組みを社会に応用する道についても考えたい。

エドガー・アラン・ポオと囚人のジレンマ

図1●エドガー・アラン・ポオ
図1●エドガー・アラン・ポオ
(出典:Wikipedia)

 怪奇と幻想の小説家エドガー・アラン・ポオ(図1)には多数の名作がある。中でも「モルグ街の殺人」は世界で最初の推理小説と言われており、読んだことがあるという人も多いはずだ。しかしこの「モルグ街の殺人」に続編があることはあまり知られていないかもしれない。「マリー・ロジェの謎」がその作品で、副題には確かに「『モルグ街の殺人』の続編」と記してある。

 「マリー・ロジェの謎」では「モルグ街の殺人」と同様、深い洞察と推理で迷宮入りの事件を解き明かすC・オーギュスト・デュパンが登場する。妙齢のパリ娘マリー・ロジェの殺人事件について、デュパンが真犯人を推理するのがストーリーの骨子だ。

 警察ではマリー・ロジェを殺害した真犯人を逮捕するため、犯人の発見者に高額の懸賞金をかけた。しかも、殺人犯が複数でその中から告発者が出た場合、その告発者にも懸賞金を提供する上、無罪に処すると発表したのである。しかし、ある悪党の一団に嫌疑がかかるものの、告発者はまったく現れない。こうした事情からデュパンは、犯人について次のように推理するくだりがある。

巨額の懸賞金がかかっている上に、無罪放免が約束されているとなれば、まあこれはどんな仲間の場合だってそうだけれども、まして下等なごろつき一団となれば、とうの昔に共犯者を密告する者が出ているはずだ。こういう条件になると、悪漢は、賞金がほしいとか逃げだしたいとかという気持ちよりも、まず裏切られるのがこわいものなのさ。だから、自分が裏切られたくない一心で、いわば相手に先んじて密告することになる。
エドガー・アラン・ポオ『ポオ小説全集3』(1974年、東京創元社)

 このくだりを読んで、本稿のテーマである「囚人のジレンマ」が頭に浮かぶ人もきっといるに違いない。ちなみにポオがこの小説を発表した1842年には(日本では水野忠邦が天保の改革を実行している時!)、まだ囚人のジレンマという言葉はなかった。現在の形で囚人のジレンマが理解されるようになるのは、1950年代の米ランド研究所でのことである。