2011年10月5日、アップルの共同創設者スティーブ・ジョブズが死去した。今年で満5年が過ぎるから、何とも時が経つのは早いものである。今回は数々のヒット作を世に送り出したスティーブ・ジョブズに、斬新なアイデア発想の極意を学びたい。

ジョブズが断行した製品ラインの見直し

 スティーブ・ジョブズがスティーブ・ウォズニアックらとともにアップルを設立したのは1976年のことである。この年に2人のスティーブは「Apple Ⅰ」を世に送り出している。

 翌77年には「Apple Ⅱ」、さらに84年にはOSにグラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)を採用したMacintosh、通称「マック」が姿を現す。

 その当時からジョブズは完璧主義者で通っており、スケジュールや予算に鑑みて現実的な妥協をする人間が許せなかった。製品を完璧にするよう努めない人物は、ジョブズにとっては「まぬけ」としか映らなかった。ジョブズにとっての目標は「限界を超えたすごい製品」を作ることであり、この目標に部下も従わねばならなかったのである。

 しかし完璧の追求も度を超すと大きな災いとなる。実際、ジョブズは、自らが外部から引き抜いたCEOジョン・スカリーと仲違いし、半ば追われる格好でAppleを去ることになる。これが1985年のことだ。

 このジョブズがAppleにカムバックするのは1996年の暮れだ。当時のAppleは利益が激減し深刻な経営不振に陥っていた。製品はかつての輝きを失い、技術面でも新たなOSの開発を断念して外部から調達するという惨憺たる状況だった。この新たなOSにAppleは、ジョブズが設立したNeXT社のNEXTSTEPを採用したのである。

 Appleに戻ったジョブズは実権を握ると社内改革を断行する。まず、マイクロソフトと提携して、ライバルから資金の提供を実現する。さらにジョン・スカリーが満を持して投入した、いわゆるパーソナル・デジタル・アシスタンツ(PDA)の先駆けだった「Newton」の廃止を決め、人事面でも大胆なリストラを行った。

 加えて製品ラインについても大なたを振るった。当時はマックだけでも10種類以上あり、それらが「1400」「8500」「9600」のように数字で区別されていた。マック好きでも混乱必至の製品ラインだったのである。

 ジョブズはこの製品ラインを整理するのに、いまや語り草となっている手法を用いた。ジョブズの正伝とも言えるウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』(2011年、講談社)からその個所を引用しよう。

 マーカーを手にするとホワイトボードのところへゆき、大きく「田」の字を描く。
「我々が必要とするのはこれだけだ」
 そういいながら、升目の上には「消費者」「プロ」、左側には「デスクトップ」「ポータブル」と書き込む。各分野ごとに1つずつ、合計4種類のすごい製品を作れ、それが君たちの仕事だとジョブズは宣言した。
ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズⅡ』(2011年、講談社)

 そう、ジョブズが製品ラインに振るった大なたは、本稿のテーマである「マトリックス」だったのである。