先週はテクノロジーカンパニーの話を書きました。今週はその続きです。

 テクノロジーカンパニーとセールスカンパニーの両方とお付き合いすると、最大の違いはセールスの位置づけと分かります。以前、日本IBMの営業がどのように日本のIT業界を創り上げていったかというお話を書きました。かつてのIT企業の営業は、価格決定権を持っているし、SEを投入したりするマーケティングファンドも潤沢にある。だからシステム導入におけるトラブルが発生しても、営業が仕切ってなんとかその場を収めることができる。そういう存在でした。だから企業ユーザーのIT担当者はIT企業のトップと直接交渉することが重要でした。いざとなったときに助けてくれるのは営業だったからです。

 IBMに代表される従来型IT企業(セールスカンパニー)の組織は、営業を中心にグローバルな組織ができあがっていました。各地域のビジネスも営業がトップに立ち、SEやサポート部隊は営業のコントロール下に置かれていました。営業トップはすなわちローカルビジネスのトップでしたから、米国本社のトップに対してそのままダイレクトに「日本代表として」交渉することができたのです。

Windows NTで1万台のネットワーク

 1990年代の前半にマイクロソフトのスティーブ・バルマー氏(当時はExecutive Vice President)が野村総合研究所(NRI)の幹部と初めてミーティングを持った時のことをよく覚えています。場所は新宿野村ビル最上階にあった今は無き野村クラブでした。NRIは太田専務以下数名。私はその末席にいました。マイクロソフトはバルマー氏のほか、極東担当副社長のチャールズ・スティーブンス氏、それに日本法人の社長になったばかりの成毛眞さん、マーケティング本部長の長谷川正治さん、金融営業部長の徳武信慈さんという顔ぶれです。

 ちょっとしたミーティングの後に宴席が続くミーティングでした。バルマー氏とスティーブンス氏のお二人と、私たちはそれまで会ったことがなかったので、自然に名刺を交換してから話を始めました。NRIは野村證券の通称BPRプロジェクトという大プロジェクトを進めようとしていました。そこに採用を決めていたのが製品化されたばかりのWindows NTです。

 マイクロソフトのWindows NTはIBMのOS/2と激しくシェアを争っていました。しかし大手金融機関の営業店ネットワークにWindows NTを採用するというケースは日本はおろか、海外を見ても初の大型案件でした。NRIとしては捨て身で初物にチャレンジする覚悟だったわけですが、いざというときのことを考えて、バルマー氏に直接会って支援を要請したのです。

 太田専務が「Windows NTで1万台のネットワークを作る。基幹系ネットワークをPCで作るのは日本で初めてのことだ。俺たちはマイクロソフトと心中だぞ」と話すと、通訳が心中を訳せなくて困ってしまいました。すると成毛さんがすかさず機転を利かせて、「We are Romeo and Juliet」と訳したのです。それでNRIの意気込みが伝わったのでしょうか。バルマー氏が「You are crazy」と答えたのが記憶に鮮明に残っています。