私はいまの日本のちょっと特殊なIT業界の構造は、日本IBMがもともと作ったものだと考えています。とあるカンファレンスでそんな話をしたところ(関連記事:日本IBMが作った「クラウドに向かない」国内IT業界の特殊な構造)、日本IBMの敏腕営業マンだったX氏と、日本のIT業界の生い立ちについて語り合うことになりました。

 IBMが日本企業へ大型コンピュータを販売するために日本IBMを設立したころ、日本企業にはコンピュータに関する知識のある人材はほぼ誰もいなかったはずです。ユーザー企業が大型コンピュータを使いこなせるように、日本IBMが業界を育てたのです。

大型コンピュータを使いこなせるように日本IBMが育てた

 自社のスタッフを育成するのはもちろんですが、日本IBMはそれに加えて周辺のいろいろなパートナー企業を整備していきました。例えば、ユーザー企業が必要とするアプリケーション開発要員を派遣するソフト開発会社やハードウエアを販売し、保守サービスを提供する代理店などです。

 こういった会社が続々と設立されたのは70年代から80年代にかけてだと思います。特に80年代には金融機関各社が「第三次オンライン」と名付けられた大型の開発プロジェクトを一斉に実施しました。このタイミングで、ソフト開発要員を派遣する開発会社がいっきに興隆しました。

X氏「ビジネスの仕組みが今とは全然違いましたね。ハードウエアの粗利が今とは比較にならないほど大きかった」とX氏も振り返ります。

 私が思い出したのは、日経BP社が出していたニューズレター「日経ウォッチャーIBM版」のIBM製品の日米の価格比較記事です。記憶では日本での販売価格は米国の約2倍でした。こんな価格設定でよく日本のユーザー企業は反乱を起こさないもんだ、と思ったものです。

 そもそも米国でも大型コンピュータはかなり高い利益率がありました。その米国の2倍の価格で販売していたのだから、日本IBMは米IBMにとってもドル箱だったはずです。また、日本IBMの高価格戦略は日系メーカーにも好都合でした。日本IBMよりも安くハードを売っても十分な利益があったからです。

SEサービスが営業の切り札

 日本へ持ってくると販売価格が米国の2倍になる――。このスキームは後発の様々なITベンダーが真似しました。私は90年代に幾つかの米国企業とソフトウエア製品の価格交渉をした経験がありますが、交渉する前から「50%ディスカウント」などと言ってくるベンダーがいて、面食らいました。よく考えると、50%ディスカウントしてようやく米国と同じ価格なので、向こうとしては損がないわけなのです。

 その頃の日本IBMの中心は営業部隊でした。

X氏「何しろSEはただ(無料)だったんですからね」

X氏はそう言って当時のIBMの営業モデルを解説してくれました。

 当時の日本IBMでは販売管理費でSEのコストを負担していたので、顧客から見るとSEは無料だったのです。どのSEをどれくらい投入するかは、営業マンの判断です。優秀なSEをIBMが派遣してくれるかどうかでプロジェクトの成否が決まるといっても過言ではありません。だからIBMの営業マンにとってはSEサービスが営業の切り札でした。