もう20年以上も前の話ですが、当時、野村総合研究所(NRI)の産業コンサルタントとしてコンピュータ業界を担当していました。1980年代後半は日本の製造業が世界市場を席巻していて、特にエレクトロニクス関連と自動車関連は欧米と比較にならない強さを誇っていました。当時、日本企業の強みの源泉は「ケーレツ(系列)」にあると考えられていました。

 当時の米国の大企業、例えばGEやIBMは垂直統合型でした。つまり材料や部品、組み立てから販売まで全ての事業リソースを自社内に持っていました。一方の日本企業は、専門性を必要とする部品や材料などは専業メーカーにまかせ、ゆるい連携=ケーレツで緩く垂直統合する体制を採り、素早い動きを可能にして競争力を確保していたのです。

 そうしたとき、IBMがPC業界へ意表を突くやり方で参入します。よく知られているように、OSとCPUをそれぞれMicrosoftとIntelに依存しただけではなく、ほとんどの重要部品を他社に開発させて素早い参入を実現したのです。この結果、IBMは大きな成果を得ましたが、同時にIBM互換機と呼ばれる製品のマーケットが急激に立ち上がり、IBMや競合企業への納入を目指す様々なベンチャー企業がシリコンバレーに生まれました。

 実はこの頃に私は、ある日本企業のハードディスク装置(HDD)事業に引導を渡したことがあります。HDDのマーケットはPC市場の成長に合わせて、急速に成長しており、Seagate TechnologyやConner Peripheralsなどのベンチャー企業が急速に勢力を拡大していました。

 国内メーカーもエレクトロニクスや素材系の企業が新規参入を狙って活発な努力を続け、既存メーカーに挑戦する活発な市場でした。ある総合電機メーカーのHDD事業部門から調査の依頼を受けたのはそんな頃でした。