前回のコラム(関連記事:「東洋一のデータセンター」が時代遅れになった理由 )で野村総合研究所(NRI)の日吉データセンターのクローズを話題にしました。その続きと言っては語弊がありますが、少し1990年代の昔話をさせてください。テーマはシステムの運用。運用を我々がどう作ってきたか、若い人はあまりご存じないかもしれません。

 日吉センターはメインフレーム全盛時代のオープンでしたが、続く90年代はシステムのオープン化とインターネットがスタートした時代です。多くの企業がメインフレームで稼働していた既存の業務システムをクライアント・サーバー型のシステムに移行させました。NRIでも例に漏れず、各種の業務システムを次々と移行させました。

 当時、UNIXサーバーなどのオープンシステムで業務システムを作るのは大変チャレンジングな仕事でした。しかし予想を遙かに超えていたのはその後始まった運用の苛烈さでした。クライアント・サーバーのシステムが稼働してすぐ、部下のシステムエンジニア(SE)から泣きが入りました。

「夜間コールがすごいんですよ。毎晩ほとんど眠れません。何とかしてください」

 センターの運用オペレーターが毎晩のように担当SEに緊急コールを掛けてくるというのです。オペレーターがサーバーやアプリケーションが吐き出すエラーメッセージを理解できなかったからです。

 「エー・ビー・イー・エヌ・ディーって出てます。何ですか? って聞いてくるんですよ。何かと思ったら『ABEND(異常終了)』でした」