2015年末も押し迫った12月28日、横浜市の慶應大学日吉キャンパスにほど近いある建物に、野村総合研究所(NRI)の役員と幹部が大勢顔をそろえていました。同所にあるNRIの「日吉データセンター」の閉所式がひっそり執り行われたからです。

 日吉センターの開業は日本がバブル経済に突入する直前の1985年。野村證券専用のデータセンターとして建設され、以来30年に渡って野村證券の、ひいてはNRIのビジネスを支えてきました。

 建設時は「東洋一のデータセンター」をうたっており、当時、野村證券社長だった田淵節也さんが出席して大々的に開所式が催されました。閉所式のちょうど30年前、土曜日で半ドンだった大納会の12月28日には、旧センターの最後のオンライン処理を終了させ、その後に新しい日吉センターへと大規模な引っ越しを実施しました。大量の磁気テープ輸送のトラックを、パトカーが先導した話は、今でもNRI社内の語りぐさです。

 閉所式で久しぶりに訪れた日吉センターは、既に全てのシステムの運用が止められて、IT機器もほとんど搬出済みでした。ちょっとおかしかったのは、そんな状態なのに厳しいセキュリティ管理下に置かれたこと。がらんとしたCPU室を見るためにも、厳重な本人確認と持ち物検査を受ける必要がありました。

 懐かしいCPU室には旧式の周辺機器だけが残されていました。当時は1台で1億円もした機材が電源を落とされ、静かに廃棄の時を待っている姿はまるで博物館のようで、感慨深いものがありました。