青山氏は、NTTの研究所でFTTHの実用化に貢献した後、東京大学、慶應義塾大学に籍を移し、新世代ネットワークなどの通信分野と、デジタルシネマやインタークラウドなど通信以外の分野で積極的な活動を続けている。そんな青山氏は通信自由化について「メリットが多い半面、問題も生み出した。30年目の節目でもう一度よく考えていくべきだろう」と語った。
通信自由化をどう評価する。

非常にいいタイミングで日本の通信を自由化したと評価している。1985年の時点で第1種、第2種として新しい通信事業者が参加できる環境を作ったことは大きい。その後の1990年代にインターネットと携帯電話の大波がやってきたからだ。
特にインターネットのブームに乗って、日本のFTTHは世界の中でもダントツに普及した。もともとFTTHはFSAN(Full Service Access Network)という業界団体に世界の通信事業者が集まり、低コスト化や標準化を進めることで、各国への導入を果たしていくシナリオだった。その中でも、G7と呼ばれる主要キャリア(AT&T、BT、フランステレコム、ドイツテレコム、NTTなど)が先陣を切ると見られていた。ところが日本を除く諸外国は遅々として導入が進まず、開発からも手を引くキャリアが相次いだ。そんな中、NTTはトップがあきらめず、FTTHの開発にまい進した。
会社からのプレッシャーもあった。1995年に当時の研究開発トップが「10Mビット/秒で月1万円を10年後に実現する」と非常に高い目標を世間に対して宣言した。当時の私を含めて研究開発メンバーはみな「絶対無理」と思いつつ、光部品からPON(Passive Optical Network)のシステム、光ファイバーの敷設・保守までトータルで手掛けた。その結果、2005年には「100Mビット/秒、月5000円」を実現できた。このように、長期的な研究開発に従事できたことはいい思い出だ。
パラダイムが変わるような研究開発には相当時間がかかる。それは通信事業者がきちんと手掛けていくべき。ただ、世界の主要キャリアの研究開発力は急激に落ちている。NTTの研究所はいまだ健在だが、厳しい状況に変わりはない。これは予想外だった。