齊藤氏はこの30年の間、アカデミアの立場から数多くの通信政策に関わってきた。その中でも代表的なのが「ソフトバンクのADSL vs. NTTのFTTT」という競争を生み出したブロードバンド関連政策。このときは情報通信審議会電気通信事業部部会長として大きな指導力を発揮した。

1985年の通信自由化以前から日本の通信政策に深く関わってきた。

齊藤 忠夫(さいとう ただお)氏
齊藤 忠夫(さいとう ただお)氏
1941年生まれ。1963年東京大学工学部電子工学科卒、1968年工学系大学院電子工学専門課程を修了。1969年工学部電気工学科助教授、1986年教授。1990年東京大学教育用計算機センター長に就任。郵政省の情報通信審議会電気通信事業部部会長ほか、各種の省庁でも数多くの公職を歴任。トヨタIT開発センターCTOなどを経て、現在は日本データ通信協会理事長やマルチメディア推進フォーラムの委員長などを務める。東京大学名誉教授。

 1970年代のことだが、公衆電気通信法が改正され、電電公社の通信回線が使えるようになった。いわゆる「回線開放」と言われるものだ。ただそれは制限付きの不自由なもので、例えばあるデータを大型計算機に送ったとしたら、そのデータを使えるのは送った人だけ。つまり、“行って帰ってこい”の1対1接続しか認められていなかった。仮に違う人が使うとなると、これは「メッセージスイッチング」となり、法律上は電電公社しか許されていなかった。既に米国ではARPANETを大学や研究所が自由に使っていたから、それが日本でできないのはおかしいと感じた。これが通信政策に関わるきっかけとなった。

 1978年に私が座長を務めた「データ通信に関する会議」から郵政省に報告書を提出した。その中で電電公社と民間業者間の公正な競争関係の確立などを提言したが、当時は日の目を見なかった。それが1980年に総務省の中に電気通信政策局が創設されてから潮目が変わった。1985年の通信自由化でやっと本当の回線開放がなされた。