角田氏が2000年に創業したフュージョン・コミュニケーションズは基幹網をすべてIP技術で構築し、日本で初めて長距離電話に全国一律料金を導入した。1年半あまりで200万回線を達成するが、2003年に突如、NTT東西の電話接続料が値上げに転じ、経営は苦境に立たされる。角田氏が語るフュージョンの軌跡は、通信の新規参入が増えた現在にも大きな教訓を残している。

新しい電話会社を創業する発想はどう生まれたのか。

角田 忠久(すみだ ただひさ)氏
角田 忠久(すみだ ただひさ)氏
1940年生まれ。1963年九州大学工学部卒後、同年に日本電信電話公社(現NTT)入社。通信自由化の1985年に日本高速通信に転じ、KDDやクロスウェイブ コミュニケーションズを経て2000年にフュージョン・コミュニケーションズを創業した。同社の東京電力や楽天による子会社化までを見届け、現在は経営から退いている。

 1990年代末の情勢から、電話事業に参入できる条件がそろったと判断した。第1はVoIP(Voice over IP)技術が大きく進化したこと、第2はマイライン制度の導入が2001年5月に決まったこと、第3は米国政府の圧力でNTT東西の電話接続料がより値下がりすることが確実だった点だ。どれが欠けても参入のチャンスはなかった。

 日商エレクトロニクスや古河電気工業の資本参加を仰ぎ、2000年にフュージョン・コミュニケーションズを創業した。コンセプトはすべての通信をIPで統合する「All over IP」の通信事業者だ。

 回線や機器の選定ではかなりの挑戦をした。ルーターは日本でまだ実績がなかった米ジュニパー・ネットワークス、IP用交換機ソフトは日商エレクトロニクスが探してきた新興の米ソナス・ネットワークスの製品を採用した。ソナスについてはNTTコムウェアで海外交換機ソフトに詳しいチームによるサポートを受けられることになり、採用に踏み切れた。

 回線は、NTTコミュニケーションズが発売したばかりの回線と局舎でのハウジングを一体にしたサービスを採用した。通信量や距離によらない一律料金が我々に打ってつけだ。データ通信向けのサービスだったが、我々はこれを音声に使おうと考えた。単一の基幹網で固定電話やインターネット接続、IP電話などを提供する基盤になった。