1985年、日本電信電話公社(電電公社)が民営化され、通信サービス市場に自由競争の原理が導入された。それから30年。通信サービスは多様化が進み、ユーザーは事業者を選べるようになり、料金値下げの恩恵を被った。一方で、競争条件の不備や、監督官庁の朝令暮改を問題視する声も絶えない。なぜこうなったのか。自由化後の通信業界で新たな事業や政策にチャレンジした「挑戦者」6人にインタビューを敢行。これまでを振り返り、今後を占う。
通信自由化30年 挑戦者からの提言
目次
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[第7回]青山 友紀氏 (東京大学名誉教授、元NTT光ネットワークシステム研究所所長)
FTTHはインターネットの大波に乗った、国が投資しないとまた米国に負ける
青山氏は、NTTの研究所でFTTHの実用化に貢献した後、東京大学、慶應義塾大学に籍を移し、新世代ネットワークなどの通信分野と、デジタルシネマやインタークラウドなど通信以外の分野で積極的な活動を続けている。そんな青山氏は通信自由化について「メリットが多い半面、問題も生み出した。30年目の節目でもう一…
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[第6回]齊藤 忠夫氏 (東京大学名誉教授、元情報通信審議会電気通信事業部部会長)
日本のブロードバンド政策は大成功、IoTをノーコントロールにしてはいけない
齊藤氏はこの30年の間、アカデミアの立場から数多くの通信政策に関わってきた。その中でも代表的なのが「ソフトバンクのADSL vs. NTTのFTTT」という競争を生み出したブロードバンド関連政策。このときは情報通信審議会電気通信事業部部会長として大きな指導力を発揮した。
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[第5回]内海 善雄氏 (元ITU事務総局長、元郵政省電気通信政策局データ通信課長)
「VAN戦争」の終わりが自由化の始まり、国際感覚のなさが今を招いた
郵政省の官僚として通信・放送行政分野における自由化競争政策を推進し、1998年からはITU(国際電気通信連合)の事務総局長を務めた内海氏は、世界の視点から日本の通信を俯瞰できる数少ないキーパーソンの一人である。「VAN戦争」の当時を振り返り、国内競争に始終している日本の通信業界に改めて警鐘を鳴らす…
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[第4回]津田 志郎氏(元ボーダフォン日本法人会長、元NTTドコモ副社長)
端末の「0円販売」は是正すべき、大手3社の寡占とは全く思わない
津田氏は、エヌ・ティ・ティ移動通信網(現NTTドコモ)の立ち上げから参画し、日本の携帯電話の発展に貢献した人物。2003年には、米ビジネス誌で「世界で影響力のある20人」にも選ばれた。NTTドコモの副社長やボーダフォン日本法人(現ソフトバンクモバイル)の会長などを歴任した同氏にとって、現在の携帯電…
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[第3回]角田 忠久氏(元フュージョン・コミュニケーションズ社長)
日本初の「オールIP」通信会社を作った、接続料の値上げは裁量行政だ
角田氏が2000年に創業したフュージョン・コミュニケーションズは基幹網をすべてIP技術で構築し、日本で初めて長距離電話に全国一律料金を導入した。1年半あまりで200万回線を達成するが、2003年に突如、NTT東西の電話接続料が値上げに転じ、経営は苦境に立たされる。角田氏が語るフュージョンの軌跡は、…
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[第2回]小林 博昭氏(元東京めたりっく通信社長、元日本AT&Tパラダイン社長兼会長)
光ファイバー開放がすべてを変えた、もはや通信は稼げるビジネスではない
小林氏は、日本におけるADSL技術のパイオニアであり、1999年7月にはADSLサービスを提供するベンチャー「東京めたりっく通信」を創業した人物だ。黎明期の日本のブロードバンド市場に大きな足跡を残した。同社はわずか2年ほどで頓挫したが、小林氏と東京めたりっく通信は、その後ブロードバンド大国となる日…
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[第1回]プロローグ 通信自由化の功罪、「挑戦者」はこう語る
日本における通信の自由化とは、1社独占の日本電信電話公社(電電公社)を民営化し、併せて通信サービス市場に自由競争の原理を導入することだった。1985年以降、様々な競争軸でのユーザー争奪戦が繰り広げられた。一方で、競争条件の不備や、監督官庁の朝令暮改を問題視する声がいまだに絶えない。そこで日経コミュ…