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塩田紳二のモバイルトレンド

バッテリー駆動PCをどうしても作る必要があった、ThinkPad誕生秘話

塩田 紳二=テクニカルライター 2017/11/02 ITpro

 前回より特別編として、「ThinkPad」開発プロジェクトに当初から関わっていた、レノボ・ジャパン取締役副社長の内藤在正氏に、最初のThinkPadが産まれるまでの話を聞きました。その後編です。

レノボ・ジャパン取締役副社長の内藤在正氏
(撮影:塩田 紳二)
[画像のクリックで拡大表示]

ポータブルマシンの開発を日本で

ポータブル型の「PS/2 P70」の開発が大和研究所で始まったということですが、当時は米国で日本との連絡役のようなことをしていたと。

内藤氏 米国と日本では時差があるので、あちらの勤務時間中は、日本は夜中になります。しかし何かあって大和研究所に電話をすると、夜中の2時、3時なのに必ず誰かいる。「とんでもない部隊だな」と思っていました。

 そうして1年が経過した頃、丸山氏*1から電話があり、すぐ日本に帰ってこいというのです。理由を聞くと電話では話せないと。そこで帰ってみると、日本でやるポータブルマシンのハードウエア開発の責任者をやってくれと言われ、P70を開発していた「とんでもない部隊」に入ることになったのです。

*1:DOS/VやOADG(PCオープン・アーキテクチャー推進協議会)などに関わり、IBM大和研究所で研究開発研究所長を務めた丸山力(まるやまつとむ)氏。

 帰国したのは1989年4月で、その年の12月からバッテリー駆動のポータブルマシン「PS/2 L40SX」という機種の開発にとりかかることになりました。

 最初に開発した「PS/2 P70」はポータブルではありましたが、AC電源が必要なマシンでした。学生用コンピュータとして採用されたものの、教室に電源を用意する必要があり、あまり評判がよくありませんでした。バッテリーで駆動する製品を、どうしても作る必要があったのです。

 そこで開発したのがL40なのです。これも製品が完成しないうちに、会社がハーバード大学の入札に応募して落札してしまいました。本来なら新学期の始まる1990年9月までに出荷しなければならなかったのですが、開発が遅れてしまい、1991年3月の出荷になりました。

 その開発というと、「地獄の1年」という感じでした。そもそもプロジェクトの体制がすっきりしていません。プロジェクトのマネジメントと機構設計はボカラトン*2、キーボードがレキシントン*3、製造はラーレイ*4とグリノック*5と世界中に分散。チップセットは米Westan Digitalが製造したものを使い、開発総責任が日本の大和研究所でした。

*2:米国フロリダ州パームビーチ郡のBaca Raton市。IBM PCの開発拠点となった事業所があった。
*3:米国ケンタッキー州レキシントンにあったIBMの製造拠点。プリンターなどを手がける。プリンター部門は、1991年に分社化され、Lexmark Internationalとなる。社名の「Lex」はレキシントン(Lexington)に由来する。
*4:米国ノースカロライナ州Raleigh市。研究施設が集まるリサーチ・トライアングル・パーク内にあった、IBMの事業所。米国におけるThinkPad関連事業やサーバー事業の中心。中国レノボへのThinkPad事業売却後は、レノボに移管された。日本IBM社内では「ラーレイ」と発音することが普通だったようだ。現地で発音を聞くと「ラーリー」といっているように聞こえる。
*5:英国スコットランドにあるグリノックのIBM施設。タイプライターやプリンターの製造、1981年からはPCの製造をしていた。サーバーやラップトップの製造拠点でもあった。製造施設は、2016年に閉鎖された。

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