[連載 第4回] 聞き手の「問いかけ」が、話し手の内省を促すこともある。聞き手は話し手に共感しつつも、迎合せずに問いかける。話し手は、問いが厳しいものであっても素直に受け入れる。すると、その問いが話し手に新たな視点を与えて、気づきを生む。今回は、問いかけによる内省について考えよう。

 対話は、聞き手による「問いかけ」と、それに対する話し手の「答え」で進むことが多い。通常、問いかけられた人は、どう答えるかということに集中するので、自分自身のことを見つめ直すことは少ないだろう。だが、問いかけの内容や、問いかけられたときの状況によっては、自分自身を振り返り、内省が進むことがある。実際、筆者らが実施しているワークショップでは、以下のようなやり取りがあった。

 あるマネジャーが、チームリーダーについて愚痴をこぼしていた。「年度初めに、年間の目標を設定するようチームリーダーたちに言ったんだ。フォーマットは自由で、1カ月以内に提出するように伝えた。しかし、第1四半期が終わろうとするのに、誰ひとりとして提出しない。困ったものだ」。そのマネジャーは、大げさなボディアクションを交え、「もうやっていられないよ」「このつらさを分かってよ」という話しぶりだった。

 ところが、そのマネジャーが話し終わるや否や、真正面に座っていた同僚のマネジャーが、「そりゃあ、お前が悪いよ」と一言、言い放った。

 その場にいた筆者もびっくりしたが、一番驚いたのは、愚痴をこぼしたマネジャーだった。よもや自分が否定されるとは思わなかったので、しばし絶句したあと、「えぇっ?、俺が悪いの?」とようやく聞き直した。すると、同僚のマネジャーは答えた。「ああ。そんな抽象的な言い方で、目標がすらすら出てくると思ってるのが間違いだよ。きちんとフォーマットを示して、書き方を具体的に教えないとだめだ。誰も出していないのは、どう書けばいいのか分からないからだよ」。