今、パーソナルコンピューターの世界で起こっているのは、コンシューマーライゼーションだ。つまり、コンシューマーの世界で使われているコンピューターの当たり前が、企業で使われるコンピューターでの当たり前になりつつある。

 だが、そのさらにもとをたどると、今のコンシューマーが享受しているテクノロジーは、企業で使われているコンピューターでは当たり前のことだった。たとえば、どのパソコンを開いても同じメールを読み書きできたり、たとえ、そのコンピューターがネットワークから切り離されていても同一のファイルを読み書きできて、ネットワークに接続された時点で同期されるといった具合だ。ひとつのファイルを複数のユーザーが共同編集するといったこともそのひとつだ。

 ずっと前からこれらの機能が当たり間の環境として利用できたのだから、企業のパソコン環境は、本当なら、ひとりのユーザーが適材適所でさまざまなコンピューターを使い分ける、というように遷移してもよかったはずだ。

すべての元凶はセキュリティ上の脅威

写真●日本エイサーのChromebook「C720」
写真●日本エイサーのChromebook「C720」
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 ところがそこに押し寄せたセキュリティ的脅威。企業のシステム管理者は死にものぐるいで企業の知的財産を守ろうとした。これもまた当たり前だ。だが、それによって、企業のパソコン環境は足踏みを強いられることになる。死ぬほど便利な当たり前は、裏を返せば企業を死に追いやる脅威と裏返しの当たり前だからだ。そして、可搬型のパソコンは持ち出し禁止となり、パソコンを持ち帰っての風呂敷残業はもちろん、私物パソコンのネットワーク接続禁止といった別の当たり前が成立するようになる。

 Windowsは今、GoogleのChromebookを脅威に感じている。ネットワークにつながりさえすれば、いつでもどこでも単一の環境が手に入るというのは、Windowsがずっとずっと昔に取り組み、すでにできていたにもかかわらず企業環境に受け入れられなかった世界を、新しい当たり前として提示しているからだ。しかも、管理のたやすさを前面に押し出してきているのは皮肉な話だ。だが、もうそこから目をそむけていては、脅威以前に企業そのものが死に絶えてしまうことになるだろう。