日本を代表する製造業の現場で,3Dプリンタがどのように活用されているのかについて,本特集の招待論文「タービン製造における3Dプリンタの活用」を執筆いただいた三菱重工業(株)原口氏にお話を伺った.約15年にわたる経験を踏まえて,三菱重工業(株)高砂製作所における3Dプリンタ利用のきっかけ,社内での利用の定着化,今後の展望について貴重な経験談をお聞きすることができた.

3Dプリンタ活用のきっかけと拡大

吉野 今日はインタビューにお応えいただきましてありがとうございます.

原口 よろしくお願いします.

吉野 今回,3Dプリンタを特集テーマとして採り上げたのですが,情報処理の世界では,最近,情報のサイバーな世界だけに閉じた議論だけではなく,リアルの世界とサイバー世界をどうつなげていくかが大きな課題となっています.リアルの世界から情報を収集する話と,情報を現実の世界にフィードバックする話の両方があると思っています.3Dプリンタは情報を現実世界にフィードバックする1つの仕掛けと捉えています.

原口 そうですね.

吉野 情報処理関係者の多くが3Dプリンタというのを意識し始めたのは,Chris Andersonの『MAKERS』が出版された,2011年ぐらいからだと思うのですけれども,原口さんの論文を読ませていただくと,その10年ぐらい前から製造業の現場では使われていたようですね.

原口 はい.

吉野 どういうきっかけで取り組みを始められたのかを少しお聞かせ願えますでしょうか.

原口英剛氏
原口英剛氏
1994年3月九州大学大学院総合理工学博士課程修了.同年4月三菱重工業(株)長崎造船所入社.2001年高砂製作所異動.2012年高砂研究所(現,総合研究所)異動,現在に至る.

原口 私の経歴を簡単に説明しますと,最初,三菱重工の長崎造船所に配属されました.そこで火力発電所とかに納める,ボイラーや燃焼器の設計を7年ぐらいやって,2001年に高砂製作所に異動してきました.最初はガスタービンの設計を半年ぐらいやり,その後同製作所の製造部門の生産技術課に異動になりました.

 3Dプリンタを使い始めたきっかけは,このタイミングです.2001年の11月から生産技術課のTMDIという新しいチームに配属されてからです.

 この頃,自動車業界でデジタルイノベーションの動きがあって,中でもマツダさんがMDI(Mazda Digital Innovation)という名前を付けて積極的に取り組まれていました.TMDIという名前は,これにあやかろうと,Turbine Manufacturing Digital Innovationの頭文字を取って付けた名前です.

 そこで9年ほどやって,4年前に研究所のほうに移ってきて現在に至っています.

吉野 21世紀に入ってすぐ始められたということですね.

原口 はい.そうですね.

吉野 マツダさんを始めとした自動車業界でそういうデジタル化の動きがあったということですが,製造業一般,全般にそういう動きがあったのでしょうか.

原口 自動車業界とか,電機業界ではもっと前からされていたのですが,ガスタービン,タービン製造の重工業界においては,当時3D CADの活用が遅れていて,これではまずいということで2001年にスタートしました.

 2000年頃に,ものづくり変革,とか,ものづくり革新とか,そういう言葉が流行っていたのですけれども,三菱重工でもそういうことをやろうという動きがありました.特にデジタル化は加速をするんだという,トップダウンの動きがありました.設計,生産技術,製造,品質保証といった,全体のバリューチェーンの中でデジタル化をもっと進めていこうという全体的な動きがあったのです.

 その中のツールの1つとして3Dが強力になるだろうということで,上からも積極的にやれというプッシュがあり,高砂製作所の製造部に3Dを推進するチームができました.

吉野 3D CADの活用は1995年ぐらいからということなのですね.

原口 そうですね.