日本人は奥ゆかしいのか、大仰な言葉を嫌う人が多い。そうした言葉の中でも「イノベーション」は、大仰さにおいてトップレベルなのだろう。大企業の経営者が「デジタル技術を活用しビジネスのイノベーションを図っていく必要がある」などと話す際に、“イノベーション”の箇所で照れ笑いを浮かべる場面も何度か目にした。

 日本のITベンダーの技術者と話していて、私がイノベーションという言葉を使うのをとがめられたこともあった。「イノベーションは、世の中を変えてしまう発明に対してのみに言える言葉だ。気軽に使うものじゃない」。おそらく、この技術者のコメントに賛同する読者は多いことだろう。

 だが米国では、イノベーションを気軽に使う。特にIT企業の経営者や技術者は、プレゼンなどで5回、10回と連呼する。大仰な言葉が嫌いな奥ゆかしい日本人からすると「それは単なる工夫でしょ!」としか思えない取り組みでも立派なイノベーションだ。

 この落差をどう考えるのか。日本ではイノベーションを「技術革新」と狭く捉えていたことが、その原因の一つだろう。画期的な技術を発明し世の中を変える製品を生み出す。ものづくりの視点からのイノベーションだ。

 だが、イノベーションの本来の意味はもっと広い。単に「革新」、あるいは「新機軸」という意味がある。米国のIT企業が言うイノベーションはもちろん、こうした意味合い。新しいITを使って、新しいアイデアでビジネスに新機軸をもたらしたりするのがイノベーションだ。

「顧客が気付かない課題を解決」

 日米の差異は、単にイノベーションに対する捉え方の違いというよりも、イノベーティブな企て、つまり新規事業などに取り組むアプローチの違いといったほうがよい。例えば日本企業で新規事業を立ち上げる際は、準備に時間とカネをかけて万全を期す。米国発のリーンスタートアップなど真逆の方法論も紹介されているが、実際には“社運を賭けた”一大プロジェクトとして企画されることが多い。