今回は、カリフォルニア大学バークレー校の執行教員からの寄稿になります。40年の歴史を持つ同校の起業家教育は、ブランク氏が教員になったことで、大胆に転換しました。今では、同氏が教える顧客開発やリーン・ローンチパッド方式を中核としたカリキュラムを中心に据え、科学研究やライフサイエンスなど起業家教育以外の各方面に適用しています。(ITpro)

 ソ連との冷戦のさなかに、スタンフォード大学とカリフォルニア大学(UC)バークレー校の理工学部は、冷戦用武器システムを開発するために多額の資金を受けました。

 スタンフォード大学の焦点はエレクトロニクス諜報分野で、これらの先進的なマイクロ波部品とシステムは、各種の兵器システムに利用されました。1950年代から、スタンフォード大学の工学部は「外向き」になり、スピンアウト(スタートアップ企業の創設)文化を生み出し、シリコンバレーのスタートアップ企業の最初の波に、教授たちが積極的に参加・支援しました。

 同じころ、バークレー校は、冷戦用の兵器システムを開発していました。しかし、バークレー校の焦点は核兵器であり、スピンアウトするようなものではありませんでした。

 そこでバークレー校は、ローレンス・リバモア核兵器研究所に焦点をあて、半世紀にわたる「内向きのイノベーション」を始めました(プレゼンテーション資料はこちらを見て下さい)。

 内向きに焦点があてられたので、バークレー校はシリコンバレーの起業コミュニティーからは忘れられた“兄弟”でした。その状況は、この2~3年のうちに変わりました。

 今やカルフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールは、起業家教育のリーダーです。同校では、ビジネスプランの作成方法を、リーン・スタートアップ手法に置き換えました。同校では、ローンチパッド方式と、全米科学財団(NSF)と全米衛生研究所(NIH)のI-Corps方式、そして企業の起業家コースも教えています。

 以下は、バークレー校で起業を教えるレスター・センター執行教員のアンドレ・マーカス氏の物語です。

 私は2010年、起業家のためのレスター・センターを運営するため、カルフォルニア大学バークレー校のハース・ビジネススクールに赴任しました。当時の同校は、アントレプレナーシップに関して、私が学生だった1995年当時と同じ方法で教えていました。

 同校の基礎MBAクラスでは、バブソン大学のジェフリー・ティモンズ氏が1977年に出版した、独創的な教科書「新規事業の創設」(New Venture Creation)を採用していました。そのクラスの最終提出項目は、30ページのビジネスプランであり、複数のビジネスプラン競争を催していました。

 当時、他の大学を見回しても様子はほとんど同じ、つまり、ビジネスプラン教科やビジネスプラン競争、主としてメンター機能に焦点を当てたアクセラレーターが、それらにゆるく結びついていました。

 複数のスタートアップ企業を創業した起業家の視点で見ると、1990年代以降、シリコンバレーの初期段階への投資家で、投資検討にビジネスプランを採用した投資家はいません。ビジネスプランを要求する投資家でも、誰もそれを読みません。顧客からの“引き”と証拠を、投資家たちは求めているのです。比較的「スロー」な分野であるヘルスケア分野とかエネルギー分野でも同じです。スタートアップ分野で根本的な変化があったにもかかわらず、ビジネススクールのカリキュラム(教科)は、ほとんど変わりませんでした。

 私たちの教育の枠組みには、大きなギャップがありました。偉大な起業家を創るのに、ビジネスプランが当時求めていた厳格な構造を教える一方で、学生たちがリーン・スタートアップ企業を運営するときには、カオスと不確定を乗り越える経験を課さねばなりませんでした。教科書に従う利点は、学生たちが卒業した後でも所持できる、奥深い教育学的なインフラでした。一方で短所は、その方法論がウォーターフォール製品開発手法に基づいており、今日スタートアップ企業が使っている、アジャイルでリーンな手法ではありません。

 私が、ティモンズ氏と彼の教科書「新規事業の創設」と同様の厳しさを持ちつつ、アントレプレナーシップ・カリキュラムをより適切にすることを模索し始めたとき、その答えがバークレー校で見つかりました。それが、スティーブ・ブランク氏のリーン・ローンチパッド・クラスでした。

(最近引退して国立科学財団のI-Corpsの学部長になった、本スクール創立メンバーで執行教員のジェリー・エンゲル氏は、スティーブのような指導的な実践者を採用するのが流儀でした。彼のような“実践学者”が、アントレプレナーシップ教育では、最大の改革者です)