「我々の業界は、企業や社会のインフラを担う重要な産業だ」。大手SIerの経営者らが好んで用いるフレーズだが、私はどうも気に食わない。「なに因縁を付けているんだ」と言われるだろうが、この言葉には欺瞞の匂いがプンプンする。もちろん情報システムが、企業や社会の重要なインフラであることはアグリーだ。だが「IT業界を重要な産業」というのは、ある種の免罪符にすぎない。

 免罪符というのは、多重下請け構造による賃金格差を温存し、長時間労働を常態化させていることに対する免罪符である。「どこの後進国の話だ」と思うほど前近代的な環境に技術者を放り込んでおきながら、社会インフラを担う重要な産業と自らを位置付けることで「仕方がない」と居直る。居直るというのは言い過ぎかもしれない。SIerの経営者も少しは後ろめたいだろうから、そう言うことで自己欺瞞を図っているのかもしれない。

 前近代的なIT業界でいうところの重要なインフラとはもちろん、GoogleやiPhoneなど人々の暮らしに必須となったサービスや製品のことではない。公共系のシステムや金融機関のシステムのことであり、一般企業ではせいぜい基幹系システムといったところか。そして当然と言えば当然のことながら、インフラとしての重要度が“高い”ものほど、それを担う技術者の職場環境は悲惨なものになる。

 その代表例は、公共系のシステムと金融機関のシステム。公共系のシステムは、上流の要件定義の杜撰さなどの理由で、かなりの高率で開発プロジェクトが破綻し、多くの技術者がデスマーチを歩かされる。金融機関のシステムも開発プロジェクトのデスマ確率が高いうえに、保守運用フェーズでも常駐する下請けベンダーの技術者は長時間労働を強いられる。夕刻に「これ、明朝までにやっておいて」は日常茶飯事である。

 昔も今も、この公共と金融のシステム、つまり重要な社会インフラが、IT業界の稼ぎの4割近くを占める。重要な社会インフラは、多重下請け構造のIT業界を維持する重要なインフラでもある。で、SIerの経営者らは「社会のため、日本のためにガンバレ」となる。だがもはや、多重下請け構造による賃金格差を温存し、長時間労働を常態化させていては、社会のため、日本のためにならなくなっているのである。