随分前、この極言暴論を書き始めたころ、ある識者や大企業のIT部門OBらの日米比較論を木っ端微塵にしたことがある。日米比較論とは「米国では技術者の7割がユーザー企業側にいて、基幹系システムなどを内製している。一方、日本では技術者の7割がITベンダーにいて、ユーザー企業は重要なシステムでもITベンダーに丸投げしている」というものだ。

 日米比較論がここで終わっているならば、私も別にイチャモンをつける余地は無かった。事実だからだ。だが、その後に「日本のユーザー企業が技術者を抱えてシステムを内製化しようとしないのは、経営トップはITの重要性を分かっていないからだ。システムを作る力が無ければ、米国企業などとのグローバル競争に勝てない」と経営批判を展開したから噴飯モノなのだ。で、私はこれを極言暴論で木っ端微塵にし、識者やIT部門OBに「内製原理主義者」というレッテルを貼った。

 何が噴飯モノかと言うと、ある前提を無視して「米国では」と“米国出羽守”を気取っていたからだ。その前提とは、米国では技術者は常に転職するという事実。大規模システムを構築する技術者は開発が完了すれば、その会社に用は無い。別のプロジェクトを求めて転職し、キャリアを積み上げていく。だからこそ米国企業はとびきりの人材を採用でき、野心的なシステムを内製できるわけだ。

 一方、日本企業は終身雇用が前提。人が辞めない以上、システム開発のピークに合わせて技術者を抱え込めない。しかも独自仕様の機能を過剰に作り込もうとするから、ピークは一層高くなり、必要とする技術者の数も膨れ上がる。だから日本企業の多くは、システム開発を丸投げせざるを得なかった。ITベンダーにシステムを作らせて、その運用を最小限の陣容のIT部門に担わせるというのが、日本企業の当然の経営判断だったわけだ。

 この記事を書いたのは2013年3月だから、もう4年以上も前になる。最近はデジタルビジネスに取り組む必要性から、日本のユーザー企業も技術者の雇用を増やし、システムの内製を強化しつつある。ITベンダーからユーザー企業へ技術者の転職なども増えつつある。なので今回は楽観的に考えて、技術者がとっとと会社を辞めることでもたらされるバラ色の未来について、妄想を膨らませてみよう。