私はいつも「この人たち、バカじゃないか」と思っていることがある。何の話かと言うと、日本企業、特に大企業の人たち(別にIT部門とは限らない)が、自分たちの業務のやり方、あるいは業務プロセスは優れていると無邪気に思い込んでいることだ。もう失笑である。大企業の人なんかは転職経験もなく、他社と比較することすらできないはずなのに、どうしてそんな世迷い事が言えるのだろうか。

 そもそも日本の労働生産性の低さは先進国の中でも折り紙つき、ダントツである。しかも少子高齢化が進む折、皆がもっと効率的に働かなくてはマズイのに、生産性は下がる一方である。日本人の勤勉さは世界から賞賛され、自らは「社畜」と自虐するレベル。にもかかわらず、働いても働いても、サービス残業をやりまくっても、一人ひとりが付加価値を生み出せないのはなぜか。

 もちろん日本の労働生産性の低さは様々な要因があるわけだけれど、個々の企業の問題で言えば、付加価値の高い製品やサービスを生み出せなくなっているにもかかわらず、非効率極まりない業務が温存されていることに尽きる。その典型例が、日本企業のシステム開発だが(関連記事:作る価値の無いシステムに動員される技術者のマックスな不幸)、そうした不可解な非効率は日本企業の至る処にある。

 特に、無邪気に優れていると思い込んでいる「うちの業務のやり方、業務プロセス」は非効率の塊だ。製造業の工場はともかく、いわゆるホワイトカラーの生産性の低さは目を覆うばかりである。それなのに日本企業の「中の人」が優れていると思い込んでいるのは、“カイゼン至上主義”のなせるわざだ。「現場のカイゼンこそが日本企業の強み」として、せっせと非効率な部分最適を生み出し続けてきた。

 本来なら、カイゼン活動のような“くだらない”ことは止めにして、全社的に業務を標準化することによって余剰人員を顕在化すべきだったのである。特に大企業には優秀な人材が多いだろうから、そうした人材を余剰人員化して、付加価値の高い製品やサービスを創出する仕事に移ってもらう必要があった。ところが、日本企業はそのような構造改革に取り組まなかった。その結果、日本や日本企業の競争力はガタ落ちしてしまったのだ。