全てのビジネスパーソンにとっての社会貢献は、仕事を通じて何らかの価値を顧客や社会に提供することだ。そして提供した価値に見合う正当な報酬を得て、自分もまた他の誰かが提供する何らかの価値を受け取る。これにより経済を動かし、社会を発展させて、共に豊かになっていく。世界を変えたスティーブ・ジョブズのような貢献はできないかもしれないが、だからこそ働くことは素晴らしい。

 もちろん無償のボランティア活動は尊いに決まっているが、ビジネスパーソンとして働くことも意義ある社会貢献なのだ。実際、自分の仕事が誰かのためになっているとか、社会に役立っているとかを実感できると、人は働くことが楽しくなる。自分が提供する価値(≒給与などの報酬額)の多寡に関わらず、何らかの貢献をしているという実感は、仕事のやりがいそのものと言ってよい。

 「木村は何を突然、きれいごとを言い出したんだ。そろそろ暴論に疲れたか」。読者の中にはそう思う人がいるかもしれない。だが、別に暴論に疲れたからではなく、今回の「極言暴論」に深く関わる話だ。もちろん、きれいごとでもなく真理だ。以前、ある高等学校の「職業観セミナー」で話してくれと依頼され、この話を冒頭にしたら、聴いていた生徒の目が輝き出したのをよく憶えている。

 さて、今働いている技術者の皆さんは、そんな目の輝きを持ち続けているだろうか。こう書くと、極言暴論の古くからの読者に「なんで、そんなことを今さら聞く? 技術者が仕事にやりがいを持てない状況に置かれていることを、極言暴論で散々書いてきたではないか」と突っ込まれそうである。

 これはまさに、その通り。だが今回の話は、システム開発プロジェクトが大炎上して技術者がデスマーチを強いられるとか、IT業界の多重下請け構造の中で下請けベンダーの技術者が理不尽な境遇に置くおかれているとかいったことではない。もっと本質的なものだ。「今つくっているシステムは無価値ではないのか。つまり、あなたは本当に顧客や社会に貢献しているのか」という話だ。