昔、メインフレーム全盛の時代、ソフトウエアはハードウエアのオマケだった。国産のコンピュータメーカーでは当然、機械を造る技術者が偉い。ソフト技術者たちは“日陰者”だった。そのコンプレックスからか、日本におけるソフト開発は、製造業の一員としての「一流のものづくり」を目指した。その結果は悲惨。今や日本の産業全体を危機的状況に追い込んだ。

 今でこそソフトの価値を疑う人はいないが、昔は酷かった。四半世紀も遡れば、ソフトの価値を認めないユーザー企業はそれこそごろごろいた。今ではソフトを最も重要な知的財産と位置付ける家電メーカーですら、当時は「なぜソフトにカネを払わないといけないのか」と平然と話していた。ここで言うソフトとは、もちろん業務アプリケーションのことだ。

 さらに遡ると、コンピュータメーカー自身がソフトを軽んじた。メインフレームを売ればたっぷりと儲かるので、顧客企業向けの業務アプリケーションはタダ同然で作ってあげたりした。あるメーカーはパッケージソフト製品を発売しても、大々的に発表しなかった。「なぜ発表会をやらないのか」と担当者に聞くと、「ハード部隊がいい顔をしない」との答えが返ってきたぐらいだ。

 「コンピュータ、ソフト無ければただの箱」といったことは当初から言われていたが、コンピュータメーカーの“主流派”も、多くのユーザー企業も事実上ソフトに多くの価値を認めなかった。例外はメインフレームのOSやデータベースソフトぐらいか。当然、業務アプリケーションを開発する技術者は、ソフトや自分たちの仕事の地位向上が悲願となった。

 そこは“ものづくり大国ニッポン”だ。ソフト技術者たちも、ものづくりとしての世間の認知を欲した。「ソフト開発だって、ものづくりなんだ」。そんな技術者の叫びを何度聞いたか分からない。で、その努力の結果はどうなったか。工業製品には程遠い一品物を手工業的に造る、二流のものづくり産業が生まれた。ものづくりの呪縛は、日本のIT産業を恐ろしくみみっちいものにしたのである。